| 02.親父と「出会い」 03月17日 23:48 | コメント 1 通 |

- ワシントンホテルの講演録から・・再録・・

北前船
こんにちは
今日は私のようなものをお招きいただき大変恐縮しております。今日はわたしたちの祖先は何を食べてどのように「命の継承」をしてきたかということにつきましてその一部をお話させていただきます。

そもそも私が会津の古い時代の食事に興味をもったのにはきっかけがありました。それは会津の老舗にお店などに展示してある会津絵やあるいは鉄さび椀という漆器を見てからでした。

これらの会津の古い時代につくられた漆器の美しい器物にはいったいどのような料理がもられたのだろうか。
当時修行から帰ったばかりの私はそれらをみて、想像ばかりが夢見る如く膨らんでおりました。

こづゆや鰊だけではないはずだ。それが知りたいと思ったわけであります。調べ始めますとあちこちの資料館や旧家から出てくるわ、出てくるわぞくぞくと出てきたわけであります。

調査を続けておりますと。この分野ではまだ誰も手を出していない事にやがて気づきます。今だから申し上げられますけれど当時の食文化に関する歴史的認識はかなりいいかげんなものでした。

会津の鰊や棒だらの料理はあるのは京都守護職の時の影響だろうとか。何かそんな言い方致しますと、みんながなんとなく納得してしまう風潮がありました。

ところが古い時代の記録を調べますと、そこにはまったく予想もしない世界が展開しておりました。


| 02.親父と「出会い」 01月07日 19:51 | コメント 2 通 |

- 太田さんからの贈り物

太田さんの書

カウンターで初めてのようなお客様に、「この店は初めてですか」かと聞くと太田さんの書いた「居酒屋放浪記」を読んで来たくなり、わざわざ来ましたという人の多いに本当に驚かされる。

昔はガイドブックを見てという人が圧倒的に多かったのだが、最近は太田さんの本を読んでという声は比較にならないほど多い。

こんな田舎のお店を紹介していた頂いたおかげで、その経済効果たるや相当なるものである。

この人のすばらしいところは、だからといって恩着せがましかったりするところが無い事だ。多くのお客様が、確かにカウンターで酒を一人で飲んでいるは時は、太田さんの酒を飲む姿に、自分も共感するところが多いからに相違ない。

何だか申し訳なくて、年の暮れに手作りの蟹味噌と鰊の山椒漬けをお送りしたら、お礼にと年が明けて太田さんから本が贈られてきた。

裏表紙に「会津に名店あり」なんて気恥ずかしい言葉が書いてあった。俳優の角野卓三さんや彼の知人たちもおかげで皆さんそれぞれに何度もおいでいただいている。

このまえも角野さんがカウンターで静かに飲んでいたら,
隣り合わせた女の子が、「おじさん、渡る世間は鬼ばかりのラーメン屋のおじさんそっくり」などといったら、本人は苦笑していた、女の子が後で本人だと知り驚いていた


| 02.親父と「出会い」 03月20日 06:42 | コメント(0) |

- 不思議な人

ささきさん
世の中には不思議な人がたくさんいる。彼はそのなかでも尊敬する不思議な友人だ。

先日、長い間の念願であった彼との酒飲みが,ようやく実現した。無理やり私の方から押しかけておまけに泊めてまでいただいた。

十年ほど前になるだろうか、裏磐梯に佐々木亭という美味しいパン屋があると聞いていた。山の中で営業しているのだが、休日などは行列が出来ると言う噂を聞いて、家内と行ってみた。

何度か通う中で仲良くなり、当時私が所属をしていた経営者団体の青年部の例会に「講師」として招いた。

それ以来この方の人間的な魅力に参ってしまった。何よりも彼からは、生きるうえで大切な事を学ばさせてもらった。

「人間は自分の思い通りの人生を歩む事が出来る。
もしそれが実現しないのなら本気で思ってなかったからだ」とは、彼が師として尊敬する中村天風先生の言葉だどいう。

悩みがあったり、心に迷いがあったりすると、俺は佐々木亭によく行く。佐々木亭の窓から見える四季の裏磐梯を眺めながら、美味しいパンを食べ、コーヒーを飲んでいると、心が落ち着き自然と解決の糸口が見えてくる。


| 02.親父と「出会い」 03月03日 23:14 | コメント 4 通 |

- 伊達男

のぶやん
籠太の常連にも様々なお客様がいる。

もう籠太に出入りし始めて10年以上になるだろうか。
籠太地元常連のなかでも伊達男と言ったら(本人の許可を取って掲載しています)やはりこの人「のぶちゃん」だろうか。

本人は外資系のコンピュター関連の会社の役員をしているらしい。ときどき外国に行くらしく良く外国のお土産をいただく。

時々和服でくるが又それがとても良く似合う。酒飲みの飲み姿がとてもいい、気が合い、お客と言うより友人みたいな付き合いをしているが、いつも決まった量を飲んでいい距離を保った会話をしてスマートに帰る。

室町時代の歌人「牡丹花宋柏」は酒を飲んだ時の
心得についてさりげなくスマートに振舞えと言っている。
そういえば彼は仙台に住まいがあるという
やはり現代版伊達男だ

| 02.親父と「出会い」 01月10日 18:29 | コメント 3 通 |

- ああ~中年探偵団

中年探偵団
籠太のお客同士、カウンターで隣り合わせになったばかりに交流が始まり仲良くなる事が多くある。それも若い者はかごたが縁で、結婚までいった者もいる。
雪の籠太


でも仲良くなったのはいいが、あいつが来るなら俺も行く、とばかりに仕事もそこそこに駆けつけて来る。雪が降ろうが台風が来ようがお構いなし。ああ~!本当にどうしようもない。

子供がそのまま大人になったようだ。(失礼!)子供の気持ちを忘れていないとでもいうか。幸せだ!今年は雪が深い、雪が良く似合う籠太のカウンターは、今日も不思議な人たちでにぎやかだ。


| 02.親父と「出会い」 01月02日 17:30 | コメント 1 通 |

- 平さん

ひらさん
平さん・・
何処でこの人と出会いが会ったのか今でも考える。20年前取引を始めた魚屋で紹介されたのが最初のような気もするが・・確か市内の繁盛店の料亭の調理長だと紹介されて近づきがたい人だなと思った記憶がある。

その料亭で平さんは、長い事、数店舗の総調理長として、活躍して華やかな時代を経てきた。若くしてこの業界で板前たちの面倒を見始めていた俺に、40台の後半から調理場に調理師会の縁を頼って様々な高齢化した板前さんたちが来るようになった。

それぞれに、昔の華やかな時代を見ていただけに辛いものがあった。「俺もいずれはこのような時代が来るんだと」秘かに自分に言い聞かせ、職場の斡旋や個人的な悩みを聞いてあげた。

数年前、年を経て退職し行き場を失った平さんが、毎日の様に籠太の前を散歩している時に、昔お世話になった魚屋の番頭をしてた二瓶さんが、平さんに声をかけてくれた。

「ここの親父も忙しいから、平さん手伝ってやれないか」
それから籠太の仕込をお願いするようになった。仕事を一緒に始めて見て、平さんは本当に真面目で頼りになった。

確かに年をとっているから若い者ようには行かない。しかし確実にきちんとした仕事をしてくれる。今年も2日から二人で寒い調理場で仕事を始めたが、この人に出会えて本当に良かったなと思う。



| 02.親父と「出会い」 11月29日 23:12 | コメント 9 通 |

- たぬき親父と籠太のサポーター

本名君
この人太田和彦さんの「居酒屋放浪記」に登場する本名君です。籠太に出入り始めてはや十数年、彼は まさに創業以来の常連だ。

太田和彦さんが客の振りをして居酒屋放浪記の取材に来ていた時に「あれ?」と、そっと耳打ちして「太田さん来ているよ」って私に教えてくれたのが彼。酒を飲んでいる大田氏に向かい「あんたイザケンの太田さんでしょう」と言ったら驚いていた事を昨日の事のように思い出す。
籠太店内


本名君とそろそろ(太田さんが)うちにも現れる頃だな・・なんてうそぶいていた。二人とも居酒屋放浪記の愛読者で、太田さんが来る前から「会津居酒屋研究会」を称し居酒屋めぐりをしていた。

そんな彼も、何時ごろからかは定かでないがカウンターの中に入り手伝ってくれるようになった。今でも時々忙しい時は助っ人をお願いする。何より几帳面で仕事はきちんとしている。

彼は俺のことを「狸親父」と呼んでいるらしい、どうもあちこちの店で、籠太の親父は「たぬき」だ「たぬき」だと、言いふらしているみたいだ(何で俺の正体が分かったんだ?・・・)。

酒に関してはかなり鼻が利くらしく、彼に様々な酒を試飲させて感想を聞くのがとても楽しい。


| 02.親父と「出会い」 10月23日 18:10 | コメント 11 通 |

- 橋を架ける男

蕎麦の花
橋を架ける男
久しぶりに訪ねて来た友人が磐梯山麓から見た蕎麦畑の白い情景を美しいと感動していた。この頃になると友人の蕎麦屋の親父の事を想う。

今日も磐梯町の新そば祭りに家内と出かけてきた。あいにくの悪天候にもかかわらず駐車場は満杯、大きなリゾートホテルのスキー客用の食堂は蕎麦を食べる人でいっぱいだった。

秋も深まり新そばの出る時期になると、会津盆地はどこへいっても毎週日曜日は蕎麦祭りがおこなわれている。文字どおり会津は日本一の蕎麦ランドだとおもう、おもえば、私の友人の蕎麦屋の親父が、「会津を日本一の蕎麦の里にするんだ!」といって十数年前から駈けづりまわり、文字通り日本一の蕎麦の里にしてしまった。

20年も前、私の店で当時の山都町の町長を接待し、机をたたきながら説明していた現場に俺も居合わせた。その当時会津は蕎麦の専門店なんてほとんど無かった。おそらく町長も半信半疑で聴いていた様な気がする。
時々、旅行したさきで蕎麦を食べるが、会津の蕎麦はレベルが高いと感じる、あんまり失敗したなという店は無いのが嬉しい。ここまで彼のリーダシップのもとに地域が努力したのだとおもう。

彼と酒を飲んだときにこんな事を言ったことがある。
「あなたは橋を架ける人だ、橋を架けたい人ではない」
橋を架けたいひとは、橋ができたあとに橋の横に自慢げに自分の銅像を立てる。でも橋を現場で架ける人は大変だ、滑落事故で死ぬような犠牲者も出る、橋ができた後でここを車で通る人は、橋からの景色がきれいなことには想いをめぐらす人はいても、この橋を架けるときにどれだけの人が犠牲になったかなんてことを考える人はいないだろう。蕎麦の里は自分を犠牲にしてかけづり回ったこの親父の熱い想いから始まった。長い間その一部始終を見てきた。

彼が有名蕎麦屋の親父として色々な事をいう人はたくさんいる。しかし俺は彼を尊敬している。彼が会津の蕎麦の恩人であることを知る人はそう多くは無い。蕎麦を食べるために行列をつくる人を眺めていて、彼の夢が実現したことを感じていた。


| 02.親父と「出会い」 10月01日 21:42 | コメント 2 通 |

- 一枚のはがき

民家
この感激に一言お礼が言いたくて、滋賀県大津のお店にお手紙を書いた。

講演テープをごみの中から拾ったこと、そのテープを聴いて感動したこと、今テープを聴いて自分がこれからどのようにしてこの商いを続けてゆくかなど想いを素直に書いてみた。

しばらくして柴田社長から返事のはがきをいただいた。
そこには「自分の社(お店)に毎朝手を合わせなさい」とだけ書いてあった。テープは酒屋の徳さんや多くの知り合いにも聞かれ、多くの方に私と同じように感銘を与え、テープはあちこちで何度となくダビングされた。

籠太の鶏を提供していただいている栗城さんも大きな影響を受けた。折りしも日本経済はバブルの中に入っていた。しかし私たちはこの柴田さんのお話のおかげで栗城さんも、酒屋の徳さんも時代とはまるで異なる方向に自分たちの方向性を見出し始めていた。

それぞれに本物の商いとは何か模索していたのだと思う。「お客様と社員、ならびにその家族がどうか幸せでありますように。」柴田社長のこの想いが私たちの心を激しく揺さ振った。


| 02.親父と「出会い」 09月18日 09:48 | コメント 2 通 |

- 花雲水

叶松寿庵
出会いは不思議だ。20年前のある朝、店の危険物を出していたら、ビニールの袋に入れられたラジカセが捨ててあった。中にはカセットテープが入っていた。なんとなく修理すれば使えるかもしれないなどと拾ってきた。

開店当時なかなかお客さんにきていただけなく、まだ子供も小さく、一人で全てををこなしていた。仕入れ、仕込み、花摘み、調理、掃除、仕事が終えてから少し仮眠しシャワーを浴びて又お店に戻り、深夜お店で一人仕込みをする日が続く。

若かったし、特につらいことはなかったが、深夜の仕込みはとても寂しかった。ラジオがあれば慰めになるかもしれないなどと思い拾ってきたのである。カセットを入れてラジオ電源を入れたら、意外にもラジオが動いた、誰かの講演テープだった。このテープを夜中に何気なく聞いていたら涙が止まらなくなってきた。何度聞いても涙が出てくる。

それは柴田さんという滋賀県大津の菓子屋さんの社長さんの商業界セミナーでの講演テープだった。このテープとの出会いが自分の運命を大きく変えた。
(滋賀県大津の叶松寿庵寿長生の里)

http://www.sunainosato.com/


| 02.親父と「出会い」 09月04日 06:16 | コメント 5 通 |

- 花が野にあるように

二輪草
昔、剛直な従業員を雇っていた。仕事はまじめで研究熱心、お客さんの受けもよかった。

熱心だったのは仕事だけではない、籠太で日本酒の魅力にとりこになってしまった。ただ残念ながら酒で様々な問題を引き起こすことになり、それで仕方なくお店をやめてもらうことになった。

それからしばらく疎遠になっていたが,私どもが花を採集する山で時折姿を見かけることがあった。その彼が最近お店に姿を見せるようになり、時々野の花を届けてくれる。早朝出勤するとガラス瓶に入れた野の花が届けられていることもあった。こんな形で俺の影響を受けていたのだなと妙に嬉しかった。

常々どんなに腕がよくても、美がわからないのはどうしょうもないなと思っている。感動がないと仕事が時間の経過と共に薄汚れてくるような気がする。若いときに、一流とそうでないものの差は、美がわかるか感動できるかであるような気がすると、ある京都の名旅館の女将に控えめに言われたことがある。それが心に残った。

しばらくして彼が雇われたお店に行ったら、さりげなく野の花が壁際に飾られていた。お店ばかりでない、何となく彼が作る料理は自然な風の匂いがした。心の中にも花を活けられる様になったのだろう。

今籠太の裏の調理場を任せている大友くんが大学生のとき何をしてよいかわからず、心の漂流をしていた頃に、懐石料理屋をしている店に母親と来て、床の間の籠に活けられた二輪草の花を見て「ここで働いてみたい」と思ったという。その大友君も我が家に来てもう十数年になる。最近結婚し、もうすぐパパになる。


| 02.親父と「出会い」 09月20日 17:36 | コメント 2 通 |

- 妻の席

 しばらく姿が見えないと思っていた人が、開店と同時に入って来た。ここ2、3年見なかったが以前はよくご夫婦で見えられた。誰もお客さんが居ないので、カウンターの端、俺が洗い物をする、お客様に一番近い席に座って貰った。そういえば、いつもきれいな奥さんと、仲良くお酒を飲んでいる姿が印象的だった。

 何気なしに「あれ?今日は奥さんどうしたの?」と聞いたらしばらく間をおいて「妻は亡くなりました」。そういえば以前見えられたときに、奥様が顔色が悪いなと思っていた。悪いことを聞いてしまったと思い、失礼をわびた。聞けば病に気が付いたときは手遅れだったという。

 そのうちにお店にお客様が立て込んできて、お店は急に忙しくなり、一段落したときにふっとこのお客様の席を見たら壁側に近い席に、もうひとつ見たこともない杯が置いてあるではないか。聞けば奥さんと共に持ち歩いたマイグラスだという。その杯に酒が注がれているのをみて目頭が熱くなった。

  店が満席になり始めた。杯を置いたお客さんが「詰めましょうか?」というので、俺は「そこは奥さんが座っているから空けておきましょう」といった。俺には奥さんの姿が見えたような気がした。

 俺ができる精一杯のことだった。このお客さんは、乱れることなく静かに酒を飲み、「又来ます」いって帰っていった。忙しかったせいもあるが、たいした会話もなく住所も名前も聞かなかった。

 その晩、遅く家に帰り焼酎の水割りを飲んでいたらこのお客のことを思いだして、無性に涙が出てきた。俺も昨年、妻の母親がなくなり、父親も高齢なので仕方なく別居生活を始めた。別居して、妻のありがたみがしみじみわかった。馬鹿な俺は素直にありがとうと言えない。あの人もきっと元気なうちにありがとうといえば良かったと思っているに違いない。


| 02.親父と「出会い」 09月08日 16:35 | コメント 160 通 |

- 塩豆腐

 出会いは素晴らしい。この豆腐にであったときは「ドキッ」とした。特に塩だけで食べる塩豆腐がおいしい。いつだったか友人がこの豆腐をおみやげに持ってきてくれた。俺は豆腐が大好きであちこち美味しい豆腐を捜していたがこんな豆腐にはついぞお目にかかれなかった。いままに食べた経験がないほど美味しかった。この豆腐を造っている人に会ってみたいと思った。

 豆腐をつくっている小原さんはIターンである。もともと高郷村とは縁もゆかりもなかった。田舎暮らしにあこがれてあちこち住む場所を探して歩いているうちに、喜多方から山都に抜ける、慶徳峠からの景色に魅了されここに住みたいと決めてしまった。

 最初山都に住んで生活するための様々なことをして模索が続いたそうだ。パン屋がいいか、そば屋がいいか、しかし豆腐屋はハードルが高いような気がして豆腐屋になるとは考えなかった。たまたま喜多方市の図書館で豆腐作りの本に出会い、試してみたら美味しかったので、これならやれると、修行や経験もないのに無謀にも豆腐屋を始めてしまった。

 いまこんな人がいい仕事をし、いま素晴らしいビジネスモデルを作り出す。近代化は標準化と安定化を要求し、常識が固定されていく。「こうなったら、こうする」という対処法も含めて、定型句ができあがり日常化される。しかしいずれは陳腐化し、お酒も食べ物も業界の常識を踏み外しているような人が、あるいは素人だと思われるようなやりかたがヒットをうみだしている。

おそらく豆腐業界の常識を知らないからこんな豆腐が生まれたんだろう。後でわかったことだが、このご夫婦、元は京大をでてコンピュター会社に勤めていた、エリートサラリーマンだったという。人生はさまざまだな~と考えてしまう。小原さんとお話をしていると自分の幸福論を明確にお持ちなのがよくわかる。

毎週この豆腐を買いに、週一か二回ぐらい小原さんの所へ豆腐を取りにゆく。辛い時もあるが、豆腐を待つお客さんの顔を思い浮かべながら豆腐街道をひた走る。


| 02.親父と「出会い」 05月12日 16:34 | コメント 4 通 |

- 酒がなせる技?

 籠太は県外からの常連がやたらと多い。このホームページを覗く人の中には、あっ!俺もそうかも知れないなんて思っている人がいるはずである。この人もその県外常連の代表みたいな人である。(もちろん本人の承諾を経て掲載している)通称「つるちゃん」。

 生来持ってきた明るさだろうか、周りの人を巻き込んでお店に雰囲気を明るくしてしまう。それでいて人との出会いを殊の外大切にする。新潟県の田舎町の運送屋さんなのだがきっと人間が好きなのだろう。

 来るときは我がふるさと自慢の酒や野菜などの産物をこれでもかって言うくらい持ってくる。特にこの人の家に有るという筍は絶品!籠太に集いし輩どもで組織する古城研究会にも時々顔を出す。この写真の隣で飲んでいる「きよちゃん」となんか青年時代からの親友のようになってしまった。きよちゃんも酒豪だが、つるちゃんは桁違い。

 このように籠太のカウンターは人と人が出会い、交流する場所にもなっている。中にはこの店で出会い結婚してしまったのも数組はいるだろうか。目の前で「結婚してください!」なんてドラマのようにやられると、目のやり場に困ってしまうこともしばしば。様々な人生がこのカウンターを挟み繰り広げられる。

 それにしてもこれだけ良い客が集まるのは居酒屋冥利に尽きるとつくづく思う。酒がなせる技か・・それとも・・まあいいか!今日も美味しい酒と肴があるよ・・。


| 02.親父と「出会い」 10月21日 14:32 | コメント 2 通 |

- 存在感のある居酒屋を目指せ

 お客さんの中には、毎年県外から籠太に来てくれる人が相当いる。つくづくありがたいものだと思う。その中でも横綱級はこのひとかもしれない(御人に承諾を頂き掲載させて頂きました)。もう籠太に通い十年くらいになるだろうか。本人は東京の某パソコン関係の大手メーカーの技術者である。体型も横綱級なら、飲みっぷりも横綱級。控えめだけれど、この人が座るとにじみ出す暖かい人間くささが漂ってくる。きっとやさしすぎるのだろう・・。結構おおらかに独身生活をエンジョイしているらしい。お気に入りのお店や宿が、あちこちにあるらしいが、籠太もその一つに入れて頂いているのかと想うとうれしい。
この人のように毎年必ず来てくれる、渡り鳥のようなお客さんが相当な人数いると、自然と友情のような物が芽生えてくる。フランスの田舎のあるパブやレストランのように何世代にも渡り愛されるような、そんな存在感のある居酒屋を目指したい。そんなことを考えるようになってきた。
居酒屋、不思議な空間である。お酒と料理を通じて人生の大事な時間をそこで過ごしている。ましてや宿代を払いわざわざ来てくれるのである。考えてみれば、美しい自然と、ほどよい人間の距離感が保てる田舎の城下町に住み、そこにはうまい酒といい食材があり、おしゃれで気さくなお客にかこまれて、ああ~何て俺は幸せなんだと思う。この幸福論がもしかしたら本当の商品なのかもしれない・・(ちがうか?)。
最近そういえば、太田和彦さんの書いた「居酒屋放浪記」を読んで、来店するお客さんが増えた。この本はそんないかした親父たちのガイドブックのようになっている。毎年来てくれる多くのみなさん。俺元気なうちはがんばるからまたきてね・・。

 
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