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| 01.親父の「ぼやき」 04月30日 12:31 | コメント 1 通 |

- 価格に価値がある時代(3)

城からの風景
旧店舗がまもなく閉店すると言う頃、お客で来ていた若い新聞記者が焼き鳥を焼いている俺に、「無尽」についてどう思いますか?と聞いてきた。

そのとき「この町の発展を阻害しているのは無尽かもしれない」と答えた。新聞記者は会津若松市民のいろんな人に同じような質問をしていたらしく、他の人とはまったく異なる事を言うのに驚いていた。それがそのまま、実名入りで 記事になった事を後で知った。

無尽とは会津で広く行われている頼母子講のようなもので、毎月集まりお金を出し合っていわば市中金融のようなものだ。

この町では「無尽」に行ってくると言うと公然と酒飲みに行ける。何時から始まったかは定かでないがおそらく江戸時代からあったのではないだろうか。

昔からこのちいさなコミニティーは情報交換の場であり
閉鎖系の中である種の価値観を醸成してきた。おそらく会津の三泣きなんて言葉はこの中から生まれたのだろう。

選挙になるとこの無尽にいくつか換わっているかで勝負が決まると言われている。そんなコミニティーのなかから地域のリーダーが生まれてゆく。

ただ問題なのは閉鎖系であることで、その小さなコミニティーの情報が、ともすると時代遅れであり間違っていたりするから始末が悪い。

居酒屋を新しく開店する時に、知り合いの商店主から「無尽をたくさんとらんしょ、若松は無尽をいっぱい持ってないてないと飲み屋はだめだ」と親切にアドバイスしてくれた。

瞬時に情報が世界中を飛び回る時代、この町の人は何時までこんな事をしているのかといつも思っていた。

「お宅も暇なの?」「おれんとこもさっぱりだ」「まあ飲まんしょ」なんていいながら酒を酌み交わしている。傷のなめ合い、そして来ないメンバーの悪口、他人の店の倒産情報、話題は暗い・・・

そこには、会津人の志など微塵もない。俺は会津が大好きだ。しかし長い間この無尽が醸し出す独特の匂いが好きになれないで来た。「本物の会津人はこんなんじゃない」いつもそう感じてきた。

そんな閉鎖系の考え方の商店や会社が、この激しい環境変化の前に判断を誤り、あるいは間違った意思決定をしたして、恐ろしいスピードでどんどん消えていく。

20世紀の後半、それらのコミュニティーの頂点にいながら、会津で優秀なビジネスモデルとされた会社はほとんどが消えた。

*無尽を取材した河北新報のサイト
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe007.htm

| 01.親父の「ぼやき」 04月29日 09:54 | コメント 1 通 |

- 価格に価値のある時代(2)

雪のかごた
よくこんな電話がある。「お宅は飲み放題」やってないんですか?」俺も丁寧な言葉でお答えする。「申し訳ありません、うちはないんです・・」電話の相手は「あっ、そう」と言って電話をガチャンと切る。

実は業界の裏話だが「飲み放題」はすごく儲かる。お金だけが経営の目的なら俺もそうしたかもしれない。いつか飲み放題で人気の店に行った事がある。そこのお店の様子を見て、おれはこんな事はどうしてもやれそうにないと思った。

トイレは汚物で汚れ、店を充満する下世話な笑い声、食器を灰皿代わりにする泥酔した客。

これだけお店があるんだから、飲み放題でなければだめだと言う人はそういう店に行けばいいだけの話だ。

ああ、又この店に来られてよかった。そう思っていただける。そんな店を店を目指したい。

安ければ良いと言う人とは、おそらくどこまで行っても合わないと思う。合わないお客様と付き合うほど疲れるものはない。

人によりお金を使う際の価値基準が違う。価格に価値がある時代、安ければ良いと思うと、物も人もサービスにも感謝がなくなる。感謝がない世界に幸福はないような気がする。それは何て寂しいんだろう・・・。


| 01.親父の「ぼやき」 04月26日 19:46 | コメント 3 通 |

- 価格に価値のある時代(1)

講演
花を栽培して東京の生花市場に出荷している友人が、価格に価値のある時代だといった。

時代が大きく変ったとおもう、20世紀のビジネスモデルのような企業がどんどん消えていったのは、会津も同じだ。

そんな中で消費の主導権が消費者に移り、インターネットはそれに拍車を掛ける事になった。又大型店の攻勢もそれに輪をかける。全国どこえ行っても中心商店街は空洞化して、ひどいところは廃墟のようになり始めている。

酒造業を始めとする、会津の伝統産業は特に状況がひどい。この前も会津の日本酒の大手蔵がその広大な敷地を明け渡し、あとには大手のディスカウンターと電気屋が進出した。

しかしダメな企業の例だけではない、カウンターに立っていると元気な企業に接する事が意外に多い。こんな時代でも会津にも元気な企業はたくさんある。お酒の話に戻るが、何度か清酒アカデミー(酒造組合の勉強会)に講師として呼ばれ、そのたびに「今のままの経営をしていると潰れる」と、生意気だと言われながら警鐘を鳴らしてきた。

だいたいこんな事、「居酒屋の親父」が本来言う事ではない。会津観光客が減っているのも、お酒が売れないのも地場産品が不振なのも、理由なんて単純だ。やっている事の質が悪い、それに尽きる。特にこの町の伝統的なコミュニティに、私は問題があると見ていた。

(続く)

| 01.親父の「ぼやき」 03月31日 09:44 | コメント 3 通 |

- 親父の朝

朝のコーヒー
親父の朝は早い、帰宅して寝るのは1時過ぎそれでも必ず6時前後には目が覚める。

そのうち我が家の仕入れ担当の二瓶さんから電話がある。二瓶さんは会津一の魚の目利き、現役時代、会津の魚の相場を決めたと言われている。携帯で布団の中から良い魚を押さえるように指示を出したりしている。

郡山の魚屋も遠慮なく電話をよこす。いやおうにも目が覚める。朝起きるとすぐに朝風呂に入り、パンとヨーグルト、それにオムレツなどの軽い食事をしてから出勤。

近頃は歩いてくる事が多い。お城の中を季節の移ろいを感じながら急ぎ足で店に向かい、9時前には平さんも調理場にきている。ゴミを出したりしながら仕込みの準備を始める。

俺はまずコーヒーメーカーをとりだして、コーヒーを沸かす。毎日決まりごとのように朝のコーヒーから一日が始まる。二人で膝を交えるように椅子に座り、コーヒーで朝の乾杯、今日の仕事の打ち合わせを行い、仕込が始まる。


| 01.親父の「ぼやき」 03月06日 13:19 | コメント 1 通 |

- かわいい子

しらさぎ
先日リサイクルショップによったら、
このポスターを見つけた。昔の酒メーカーのポスターだ。そういえば俺の実家にもこんなポスターがあった事を思い出した。(俺の実家は造り酒屋)

お店の人に「これいくらですか?」と聞いたら5000円だという、最初やめようかと思ったら。この子が「私を連れてってください」と言っている。

「家に来るかい?」と聞いたら「うん」と答えるではないか青磁の大皿としめて6000円そう高い買物でなかった。

でもなんか新しい恋人でも出来たみたいに何か心がときめいた。額を買いさっそく焼き場の前に飾ってみた。何だか初恋の人になんか似ているような気もする。
彼女は私の方を見ていつも微笑んでくれる。


| 01.親父の「ぼやき」 03月01日 00:11 | コメント(0) |

- 晩酌

まっからん
晩酌
俺は家に帰ってもあまり日本酒を飲まない。本を読みながらチビリチビリ飲んでいるのがスコッチ「マッカラン」の12年もの、これも大好きな酒だ しかし量に飲むわけではない。

口の中に含みゆっくりと飲み干す。嗜好の変化なのか、この手のスコッチずい分安くなった。イギリスのスコットランドでも多くの工場が販売不振から閉鎖に追い込まれているという。

どうしてこんないい酒が飲まれなくなってしまったんだろう・・どうも俺には良く分からない。昔はとても高くて飲めなかった。いまは簡単に気軽に手に入る。

正直いうと、芋だろうが麦だろうが、焼酎の味はいまいち良く分からない。記憶に残らないのだ。その点スコッチは強烈な位に記憶に残る。

そういえばスコッチではないが、お客さんがいつもお土産に持ってくる、北海道の池田町のブランデーも記憶に強烈に残った。あれも本当にいい酒だ


| 01.親父の「ぼやき」 12月12日 22:55 | コメント 3 通 |

- 比丘尼

比丘尼>
籠太のカウンターに鎮座するこの不思議な人形を見た人も多いかと思う。この人形は10年ほど前に米澤の相良人形店から買い求めたもの。

昔米澤の下級武士達の内職の作られた人形だと言う。比丘尼人形となづけている。さて、時々掲示板にも登場する比丘尼殿とはいかがなものか、米澤の殿がいつぞや籠太においでの際、手伝いをしていた近藤さんの事を家内と勘違いしたのか「この女人はどなたかな?」と聞かれ、とっさに「屁負い比丘尼」にござりますと答え、殿も大笑いされた事がある。

油比丘尼
昔お姫様のお側に仕える女性を比丘尼と呼んだらしい、お姫様がおならをした時にあたかも自分がしたように「失礼致しました」といってそのとがをかぶったと言われている。(本当だろうか?)

さて比丘尼にもいろいろござれば、この写真に写っているのはイタリアからオリーブオイルを輸入している油比丘尼でござる。この人形を見て真似してくれた、似ていますな・・。

(注釈:殿というのは何やら山形の方面から時々参上仕ります、怪しき老人?…失礼、浪人?)


| 01.親父の「ぼやき」 12月03日 20:50 | コメント 6 通 |

- 焼き鳥と情けない話

数日前の晩、何かうちの店に会わない人だなと言う雰囲気の人がカウンターに座った。「マスター安い焼酎でいいからくれ」、てな調子で酒飲みが始まり、酔いが回ってくる頃にこんなことを言い始めた。「ここの焼き鳥は高いな~何でこんな値段とるんだ!」

忙しかった事もあるが、すみませんと謝ってだけおいた。裏の調理場に来て本気で涙が流れてきた。普通この辺りの居酒屋は冷凍の焼き鳥を150円で売っている。チェーンの安売り店でも100円ぐらいで売っている。

俺の焼き鳥は200円だ、でも普通の店が焼き鳥に使用する、輸入肉のブロイラーがどの位の値段で売られているのだろうか。この前業務スーパーに行って値段を見てあきれた。キロ320円、籠太が仕入れている、会津地鶏はキロ2300円ぐらいする。

実に七倍の値段だ。俺がまともな値段をつけたら、1本1050円の焼き鳥になる。1050円の焼き鳥を誰が食うんだろうか・・俺はこんな事を一度もお客様に言ったことはない(ブログだから言えることだ)。

地域振興や会津地鶏などと、税金を使って声高々にキャンペーンを張る、しかし現実には誰もこんな高い地鶏を使おうとはしない。特に内臓系はひどい、商品がだぶついて引き取り手がない。籠太が砂肝などの内臓の60%を引き受けていると言っても過言でない。本当にしゃべりたくも無い情けない話だ。


| 01.親父の「ぼやき」 11月16日 23:37 | コメント 5 通 |

- 貸し店舗

貸家
籠太を移転してもとの籠太の誰が入るんだろうと気になっていた。あれから半年以上が過ぎたのにまだ決まらない。

お店は備品を移転するときに、内装そうはそのまま残してきた、調理器具や冷蔵庫を入れればそのまま使えたはずである。

このまま誰も借りないんだろうか・・毎日旧店舗の前を通るたびに複雑な気持ちで「貸し店舗」の看板を眺めている。ただこの店は家賃がとても高かった・・。

私たちはふくまんに近い利便性を買ってここに決めたいきさつがある。誰か良い人に借りていただければいいのだが・・。


| 01.親父の「ぼやき」 11月04日 00:26 | コメント 6 通 |

- 昼下がりの駐車場

neko
昼下がりの駐車場
籠太の隣に大きな駐車場がある。つい数年前まで、伝統ある会津を代表する「梅屋敷」と呼ばれる料亭だった。

様々な歴史上の人物がこの料亭を訪れ、利用したといわれている。竹久夢二、武者小路実篤、歴代の政治家や芸術家。そんな料亭も数年前に後継者がいない事と、時代の変化に抗しきれず店を閉じた。

500坪に及ぶ広大な敷地は数年間荒れるに任せていた。3年ほど前にこの広大な敷地は駐車場になった。
場所柄昼はあまり車が止まってないが夜になると、この辺りの飲み屋を目的に集まる車で瞬く間に満杯になる。

そんな駐車場も、夏暑い頃にはあんまり人の姿は無いが、秋晴れの今日この頃は、近所の老人たちの運動場になっている。ちかくにグループホームや老人病院が近くにあり、そこの老人たちが介添え人に引率されて散歩に来る。看護婦さんに付き添われた車椅子の人、ベビーカーを押す老人。ただぼんやりと日溜りにたたずむ老婆。

しかしこの駐車場に集まるのは人間だけではない。野良猫が十数匹いて、またその野良猫に餌を与える人がいる。専用の容器や発砲スチロールのトレイなどに餌をおいて野良飼いしているのである。

よく見ているとそれも餌を与えているのはいづれもおばちゃんやおばあさんだ。いづれの人もどうも一人暮らしらしく、なんとなく昔は水商売をやっていたという雰囲気である。

かっては夜の世界で華やかに生きていたにちがいない。餌を与える後姿はうら寂しい孤独のにおいが漂う。ただ困るのはこの猫の餌の残りをカラスやねずみがおこぼれにあづかってあつまってくること。

最近はこんな街中でハクビシンの姿も見かける。姿は狸に似ているが、どうやらハクビシンが猫のおこぼれにあずかっているようだ。真夜中に猫の餌を食べているのを数回見かけた。そんな野良猫たちも糖尿病になりはしないかと心配するくらい、幸せそうに艶がよく丸々太っている。


| 01.親父の「ぼやき」 10月05日 11:54 | コメント 4 通 |

- 誤解されてしまう話

籠太玄関
どうもWEB上のイメージでは酒の呑み方にやたらうるさい頑固おやじの店(ありがち)だと思われるらしい。見識ぶる寿司屋、酒にやたらと押し付けがましい居酒屋親父・・自分もそんな姿を見て、ああ・・こんなふうにはなりたくないなと思う。

しかしときどきカウンターの中で、あれ?俺自身がいやらしい親父になってないか?とはっとすることがある。昔京都に大好きな寿司屋があった。たしか「松井」といったか・・今もあるんだろうか?温和なニコニコしたおじいさんが作る、さば寿司や千枚漬けの握り、卵焼きの握りの美味しさは今でも忘れられない。

このおじいさん不機嫌な顔を一度も見たことがなかった。やさしく慈愛にあふれその笑顔が寿司をさらに美味しくしていた。俺もあんなふうになりたいと長い間願っている。

そうそう東京の居酒屋では、大塚の駅前にある江戸一のおばあさん(失礼・・お姉さん)もあこがれる人だ。無駄口をたたかずにこにこして燗をつける姿が何ともいえない。

ものすごくこだわっているかのように思われ、それをお客様に押し付けている様に誤解されてしまのかもしれない。又いそがしいと怖い顔をしているようだ。人生の修行がまだまだ足りない・・・

要は美味しければそれでいい。こだわりという言葉があまり好きでない。ただあとから安全なものに美味しいものが多いということを発見しただけだ。

この前も野菜になにか苦味を感じてサラダが美味しくないと調理場でぼやいていた。残念ながら会津は冬が長く端境期があり、全てが契約栽培農家の野菜でまかなうことができない。

悔しいけれどこの前食べた郊外のファミレスのサラダの方が美味しく感じる。歯の治療のせいなのかどうか・・


| 01.親父の「ぼやき」 10月03日 15:06 | コメント 3 通 |

- かぼちゃ

かぼちゃ
俺はかぼちゃが好きだ。煮物、カレーかぼちゃで何でも作る。ところが女房はいも、まめ、かぼちゃは食わなくてもいいと思っているらしい。

かぼちゃは何時ごろから会津で作られるようになったかははっきりしないが、すでに会津では江戸時代の中期には定着していた。足軽たちの狂歌「徒の町百首俗歌」にもかぼちゃは多数登場する。かぼちゃは彼らの貴重な食料だったらしい。

「かぼちゃ茶請けに婆たち、娘ほめほめ、嫁のざんぞう」秋の陽だまりの中、狭い足軽長屋の縁側に煮物の南瓜を持ち寄っていつもの話に花が咲いている情景だ。まったくいつの世も変わりないものだと思う。

さて時代は移り、何時の時代も嫁だって負けてばかりはいられない。先日近所の八百屋に買い物に行ったらそこで店に後から入ってきた女性が、いきなり店番の婆さんに向かいこう言った。「ぽくぽくした、姑がむせって死んずまうようなかぼちゃちょうだい!」
俺はそれを聞いて噴出してしまった。


| 01.親父の「ぼやき」 09月16日 00:53 | コメント 2 通 |

- 座禅(お坊さんになりかけた話・3)

以前から座禅はしていたのでたかをくくっていたら、永平寺は とんでもなかった。
何せ時間が長い、座っているうちに体が痛くなるは、妄想が次々と泉のように湧き出てくるは、あるときなどは絶叫したくなってどうしようもなかったりした。

こんな事もあった。就寝をする部屋で足を伸ばしリラックスしていたら、用事を告げに来た雲水が、私をめがけてづかづかと近づいてきていきなり足を蹴られた。蹴られた意味がわかるのは下山してからだった。辛くて逃げ出したくなった。

やがて数日を過ぎる辺りからは落ち着き始め、座ったかなと思ったら、いつのまにか時間が来ている事が多くなった。

質素な食事はかえって体調をよくしてくれた。半断食に近い状態になったのだ思う。瞬く間に二週間が過ぎて下山することになった。不思議なことにこのまま留まって居たいと思うようになっていることに気づいた。

やり残した事を全て終えて、本気でこのまま修行僧になりたいと願った。私が山門を出ると、どんよりとした北陸の空に突然天地を揺るがすような雷鳴が轟き、雪が激しく降り始めた。


| 01.親父の「ぼやき」 09月10日 23:17 | コメント 190 通 |

- 永平寺(お坊さんになりかけた話・2)

永平寺
苦悩する心は安定を求め、宗教に安住の地を求めていった。
なぜか他の宗教には納得できなかったが、偶像を否定する、禅の考え方に次第に惹かれてゆく。

知り合いの和尚様の紹介で寒中の永平寺に飛び込んだ。心の中でこのまま出家してもいいとひそかに思っていた。

1月23日入山。そこは畳が凍る、雪の極寒の世界だった。初日から早朝4時30分、雲水が鐘を鳴らし起床する。

禅堂で指導僧の導きで座禅を組むなかなか覚えられず苦労したことが日記に書かれている。食事も座禅を組んだままする。掃除、読経、就寝、全てが形を作ることから始まった。形ができて心が出来ていくという考え方だ。修行僧はトイレの使用の仕方や、顔の洗い方まで厳しく指導される。

当時の食事記録が残っている。

1月26日、道元禅師生誕日
朝 おかゆ(餅いり)
   ごま塩
   たくあん漬け
昼 きんぴらごぼう  
   ご飯
   味噌汁
   漬物二種
夜 煮物(いも、大根、油揚げ、)
   酢の物(もずく、柚子)
   漬物(蕪の千切り)
   飯

こんな食事が2週間続いた。
私がお山にいた2週間の間に人が次々と入れ替わり、気まぐれや軽い気持ちで入山した人が次々と脱落して下山していった。
      

| 01.親父の「ぼやき」 09月05日 00:45 | コメント 3 通 |

- お坊さんになりかけた話

日本民芸館
俺は少し間違えばお坊さんになっていたかもしれない。20代の後半、本気で出家しようと思ったことがある。当時の日記を見ると、何もかもに絶望し、激しく揺れ動き、行き場を失った心の情景が甦り切なくなってくる。

考えてみれば19の頃には、大学紛争でマイクを握り絶叫するかのように演説していた。当時多くの若者が、大学に泊り込み革命が本気で起こると信じていた。

ある日、風邪がきっかけで神田の古本屋街で立ち読みをしていたら、柳宋悦の「手仕事の日本」という本に出会う。柳宋悦の文章は、荒れていた自分の心にさわやかな風をしみこませてくれた。この本が切っ掛けで駒場の日本民藝館に足しげく通うようになる。

そこには名もない民衆の「芸術を標榜しない」日本の本当の美があった。見られることを意識しない用の美、漆器、陶器、家具、衣類、など民芸の美しさに魅了された。気がつくと夕方になっていることが度々あった。

少しづつ心が運動から離れ始めていた。東大の近くに民芸館はあり、周辺でデモの群れによくであったが、マイクの演説やシュプレヒコールも、デモを指揮するホイッスルの音、ベニヤに書かれたアジ看板も、ギラギラした若者の眼も何か他人事のように思えてきていた。

何か手応えのある仕事をしてみたい。当時はそんなものを探していたような気がする。

日本民藝館
http://www.mingeikan.or.jp/


 
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