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| 01.親父の「ぼやき」 07月30日 16:13 | コメント 3 通 |

- 俺とからす

裏のカラス
籠太の裏に社員用の駐車場がある。
そこに今頃になると、近所の胡桃の木から、ぼたぼた胡桃が落ちてくる。毎年その胡桃を拾い料理に使用していた。

ところがある日隣の庭に巣を作っているからすが、このおちたくるみを車の通るところに置き胡桃を割っているのを目撃した。どうやら餌にしているらしい。
なんて頭がいいんだろうなどと感心したまではいい、あるとき胡桃を拾っていたら、カラスが俺をめがけて急降下攻撃してくる。

どうやら胡桃を拾うことに腹を立てているらしい。くるみの木の隣の杉の木に巣もあるようだ。それからというもの、後ろからカラスの視線がこちらを見ているのを感じる。まだ直接突かれたことはないが、攻撃は執拗に続く。頭にきたおれは木の上のカラスをめがけゴムパチンコで応戦した。

やがて反撃する俺にかなわないと思ったのか,
カラスは私の愛車を攻撃し始めた。急降下爆撃である。それから愛車はおかげでいつもカラスの糞にまみれている。 これには正直参った。

ましてや鳥インフルエンザの報道があってから胡桃を拾うことをあきらめた。胡桃を拾うことをやめたら、カラスの攻撃は収まった。親父、カラスに降参・・今日も木の上からカラスが笑うように鳴いている。かかかあ~


| 01.親父の「ぼやき」 06月19日 22:32 | コメント 6 通 |

- 料理講習

せんせい?
時々籠太の親父は料理教室の先生をやっている。
月に三回はあるだろうか。ふくまんを廃業したら暇だとでも思われてるのか途端に増えてきた。以前はお断りしていたが、企業理念の中で社会貢献を明確にしてからは、できる限り断らないようにしている。考えてみれば、仕事を通じてこのぐらいの社会貢献しか出来ないのだから・・
最近は、俺のような者でも呼んでくれるだけでありがたいと思うようになってきた。

最近調理場で午前中仕込みを手伝う元板前の平さんが「お座敷が懸かるうちはいいよ」と寂しくつぶやいていた。平さんもは現役時代、いい仕事をすると褒めはやされ華やかだったが、そんな彼を世間が忘れるのに時間はかからなかった。数年前定年退職し、自分でお店を開いたが失敗し、行き場のない時間だけが残った。毎日籠太の前を散歩する平さんに声を掛けて午前中だけでもいいから仕込を手伝ってと、お願いしてみた。こうして平さんが手伝ってくれるおかげで、俺も講習等に安心して出かけられる。

わずかな謝礼で山奥まで出かけることも多いが、それでも民宿の叔母さんや家庭の主婦などの講習は楽しい。
一番嫌なのはプロ相手の講習だ、仕事が出来ない板前ほど講習の最中に馬鹿な事や嫌みを言ってくる。そんな奴に限って満足に魚も下ろせない。


| 01.親父の「ぼやき」 03月31日 16:36 | コメント 10 通 |

- 移転

 思えば色々なことがあった。振り返って見ると、籠太がこの場所に開店して14年が過ぎていた。当初店の若い者に店長をさせて営業していたが,
数年前から自分が店の「親父」として入るようになった。店長も初代の高野君、福地君、佐藤君と3名の人達にお世話になった 。自分が籠太に入ってみると、人と酒を通じて交流することの楽しさと、面白さにはまっていった。

この店で様々なお客様の人生ドラマを見させてもらった。自分の人生の貴重な時間を見つめることができた。どれだけ多くの人との出会いがあり、そして別れがあったことか、そんなお客様が閉店する間際、籠太に大勢お別れに来てくれた。最後の夜も深けてから、十数年前からのお客様と、籠太に滲みこんだ想い出に浸ながら酒を酌み交わしているとこの店を愛してくれた多くのお客さんの顔が浮かび、溢れる涙がとまらなかった。

3年程前から、経営していた本体の会津懐石料理ふくまんの老朽化がひどく、構造的にも時代に合わなくなり改築か閉店するか決断を迫られていた。

自分のなかで、こんなに人の価値観が大きく変化し、時代が変わるときは、自分たちも過去の成功体験にしがみつく事ことなく、大きく変わらなければならないと、腹をくくっていた。どうせ改築をせねばならないのなら、21世紀にふさわしい、新しい時代にふさわしいお店を作ってみたいとおもった。最後の舞台と満身の思いを込めて新しいお店作りをした。


| 01.親父の「ぼやき」 07月12日 15:35 | コメント 2 通 |

- 注文を忘れる


(40数年ぶりにいった安達太良山の白糸の瀧)
 籠太は他には特に悪いところがないが親父が時々注文を忘れる、とよく言われる。時々お客様の中に昔の彼女に似た人が来る時がある。最近女に興味を失ったかに見える親父の胸がさざ波が立つ。俺にもまだこんな感情が残っていたのかと妙にうれしくなり、昔の彼女に似た人の顔が気になりながら焼き鳥を焼くが、忘れていた様々なことを想い出し始める。馬鹿な親父はその思い出に浸ってたりするもんだからお客さんの注文を忘れたりする。親父が注文を忘れるときはたいていそんな時だ(と思う)。

 一度、中年のおばさんになった本人が来たこともあった。お互いに変によそよそしく、どうしていいかわからなく本当に困った。他にお客さんが居なかったし、従業員のおばちゃんも休んでいたからいいようなもので、でも噛み合わない会話とおかしな沈黙が続き時間が過ぎていった。結局彼女は「また来ますね」と言葉を残し二度と現れることはなかった。

 いつも周りにこれからの時代はこうあらねばならない、イノベーションを起こせという話をし続けてきた。大学時代の友人が久しぶりに店にきて相変わらず「これからの時代はこうあらねばならない」と話していると、からかわれてしまった。

 過去に興味がない親父も振り返るときが多くなった。
 年か?



| 01.親父の「ぼやき」 04月06日 16:34 | コメント 3 通 |

- 親父のライフワーク

 籠太の親父はライフワークとして、長い間会津の郷土食について研究してきた。この大地に生きてきた人の暮らし、人たちの歴史、自分が生まれた会津の人は、何を食べどのように命の継承をしてきたのか、その全容を明らかにしたい、料理に関わりながら、俺はいつしかそう思うようになっていた。
 まだ20代の後半の頃、ある漆器屋さんの資料館に展示されている美しい会津漆器に魅了される。江戸時代の中期に作られた「会津絵椀」、「鉄錆椀」である。この器どんな料理が盛られたのだろうか、そう思うと何だかとてもたのしくなった。今の会津の郷土料理は何だか似つかわしくない、そんな気もした。
 興味は自然と古文書に向かい、様々な歴史資料館や公民館、旧家を訪ねて、資料を見て歩いた。時にはまだその家の家主も見たことがないような古いタンスの中に眠る古文書に胸をときめかした。気が付いたら蔵の外は真っ暗になっていたなんて事も何度かあった様な気がする。
 35才の時、地元の新聞で食の話の連載を書き始める。しばらくして全国各地の短大や大学の先生から多くの問い合わせが来た。今思うに切り口が異なる話は大学の先生達には新鮮だったのだろう。連載は50数回に及んだ。中央の出版物にもいろいろ書かせて貰う機会も多くなったが、ペンネームで書いたりすると誰も俺が書いたと言っても信じてくれなかった。
 それからしばらくは事業と直接の講師などの役割で飛び回り、発表する機会が遠のいていたが、今回、地元の出版社の企画で「会津の食」について書いてくれないかと依頼があり、眠い目をこすりながら早朝パタパタとパソコンを打ち、書き上げた。
 親父は若い頃、茶の湯に没頭していたその経験から(一応先生ということになっちょる?)、江戸時代の武士達の茶会記(お茶会の記録)に登場する江戸時代の会津で作られた菓子も研究していたので、今回思い切って再現してみることにした。今まで脳味噌の引き出しの中にしまい込んでいた物を少しづつ出し始めている。

 「會津」
  ・問い合わせ先
  歴史春秋社
  〒965-0842
  福島県会津若松市門田町中野
  0242-26-6567


| 01.親父の「ぼやき」 12月17日 16:34 | コメント 3 通 |

- こだわるわけではないが

 籠太に何度か来た人は時々「こだわってますね」ということがある。でも、おれはこだわりを売りにするつもりはさらさらない。そう云われるのもあまり好きでない。俺は40代の時に体が不調になり危ない目にあう。「自分の納得できる物しか売らないでいこう」その時心の中でこう決めた。
 50歳をまえにして、友人や知人が次々と病気で倒れていった。昨年も友人が亡くなり死亡通知が来たのは葬儀の後だった。あわてて浜松へ行き、無き友人の墓前で昔の友情を大切にできなかった事を詫びた。こんなことが最近数回続き俺も相当落ち込んでしまった。人はいづれは死なねば成らない。ならば自分は何のために生まれてきたのか。生きる事の目的とはなにか、そんな事と向き合う日々が続いている。
 そんな中こんな田舎の焼き鳥屋に宿代を払いながらも、わざわざ来てくれるお客がいる。そんなお客さまとの出合いを大切にしよう。そんな想いがこのレモンだ。輸入レモンを使用していた時に、なにか嫌な気分を払拭仕切れない自分に嫌気がさしていた。世の中には必ず安全なレモンを作っている人がいるはずだ。インターネットで捜す日が続いた。
  今は小豆島の近くから買わせてもらっている。ぶどうジュースもトマトジュースもそのようにして捜した。これでレモンハイをつくるのだが実にうまい!トマトジュースを飲まないひとが、籠太のトマトジュースを飲む。きっと身体の細胞が喜んでいるのだろう。

| 01.親父の「ぼやき」 11月29日 16:33 | コメント 3 通 |

- 様々な顔

 籠太の親父は実は様々な顔を持っている。料亭の社長、焼き鳥屋の親父、地域興しのアドバイザーもやっているし、郷土料理の研究家でもある。当然それぞれに収入が発生するから、本当の“職業”というものが自分でも分からないままずるずるここ迄来てしまった。でもこれだけは言える。焼鳥屋の親父が一番楽しい。
 この前もこんなことがあった。県庁の農業間系の部署からお呼びがかり、お昼過ぎから「21世紀の特産品作り」というテーマで100名位の前で講演をして帰ってきた。そのまま店に戻り、いつものようにお店の準備をして開店したら、来店したお客さんにこう声をかけられた。「マスター!いや~世の中には似た人がいるもんだね、今日マスターにそっくりな人の講演を聞いてきたよ」。どこかの役場の職員らしかったが、なぜかそれは俺だとは最後迄言えなかった。
 またこんなこともあった。自分が書いた本をお店に置いていたら、私の名前を知っている人が、其の本を見て「あれ?この人親父さんと同姓同名だね~」。この時もそれは俺が書いたと最後迄言えなかった。悲しいことに余程、あほに見えるらしい。
 一時期、歴史関係の本や料理関係の本にペンネームで執筆してたら、俺が書いているんだと云っても誰も本気にしない。頭に来たのでそれ以来実名で書くようにしている。そんなこんなで焼き鳥屋の親父は忙しい、数人分の人生を生きてるような生活でいつも寝不足。お店の中で居眠りをしている親父を見たら時々は大目に見てやって下さい。ああ~眠い。

| 01.親父の「ぼやき」 09月20日 16:31 | コメント 1 通 |

- 俺とパソコン(その一)

 俺はテレビでよくやるCMの、パソコン教室のあのガッツ石松の姿を見ると妙に共感してしまう。(俺にそっくりだという某酒造メーカーの専務がいたが・・)
あれは数年前になるだろうか。かっこよくキーボードを叩く友人の仕事ぶりを見ててすっかり落ち込んでしまった。俺は永遠にこんな場面がないで終わってしまうのだろうか、なんて思うとなんだか悲しくなった。当時パソコンを販売していた弟に相談した。
「俺もパソコン使ってみたいんだが・・」弟はしばらく考えてからこう答えてきた。「ん~無理だと思うよ、気持ちは分かるけどやめた方がいいんじゃない」それから中年親父はしばらく軽度の鬱病にかかってしまった(いつものこと)。落ち込んで夜中に酒を飲んでいたら何だか無性に頭にくるではないか、まてよ俺は馬鹿にされていたんだ。
「あの野郎・・いまにみてろ・・」コンビニ行ってまともにコピーも取れないような俺が、頭に来たってしょうがないじゃないか、と自分を慰めるのだが・・・。 でも俺の精神状態は自分のコントロールできる範疇を次第に越え始めていた。 こうなると何をしでかすのか判らないのが親父のすごいところ(自分で言うやつがあるか)。
この頭にくるという状態がいかに危険か自分でも知っている。どれだけの人が怪我をしたことか・・(生まれる時代が間違った)。それからの俺はものすごいスピードで猛烈に勉強し始めた。恥を忍んで周りの人皆先生そんな感じであった。
今でもわからないことばかり。しかし「わからなかったことが、わかっただけでも偉い進歩だ」などと、訳のわからないことを行って怪進撃をする。
気が付いたら人の前で恥も外聞もなくパソコンのことで講演しているではないか・・(わらうな!) みんなパソコン関係の会社の人と勘違いするらしく、焼鳥屋の親父だというと「ほんとかよ~」って顔してきょとんとしてる。
人生とはそんなもんだよ・・。何言っているんだろう俺・・。

| 01.親父の「ぼやき」 11月18日 16:42 | コメント 3 通 |

- あんたやれないの?

 最近は来ないが、毎晩遅く閉店間際にくる友人がいた。要は自分の会社が上手く行かない愚痴を聞いてもらいたいのだ。『社員の悪口』に始まり自分の事業の上手く行かないのを全部他のせいにして酒をあおって帰る。こんな酒飲みはしたくないなといつも思う。毎晩遅くまで付き合わされてついにこの男とけんかをした。
 毎晩のように愚痴を聞いているうちに本当にこの会社の悪いのは社長であるこの男だとわかっていた。ある時失礼なことを言うので、俺はいつも喉まで来ていた思いをぶつけた。「ばかやろう!本当に悪いのはお前だ」、「お前にそんなことを言われる筋合いじゃない」、「言われたくなかったらくるな!」こんなやり取りの後半年位来なかった。
 いろいろな提案やアドバイスをしたが実行しない、しかしあるとき判った。俺は今まで余計なお世話をしていたんだという事が。答えを用意することが親切だと勘違いしていた。そして彼はやらないのではなくてやれないのだということに気づいた。「やらないのではない」、「やれないのだ」。能力が無い自分と向き合いたくない自分がいる。最近仲直りしたが彼も反省したらしく、やれない自分ときちんと向き合えないと立ち直れないよ、とアドバイスしたが・・・。
  しかし、パソコンに向き合うとパソコンが俺に言う。「あんたはやらないの?」「それともやれないのどっちなの?」夜中に愛用のマックをぶちかましてやりたくなるときがある。

| 01.親父の「ぼやき」 09月06日 16:28 | コメント 3 通 |

- エスエル

 この前おれはエスエルを見に行ってきた。以前から東山温泉旅館の友人の社長はエスエルにはまっていた。
昨年の秋から磐越線や只見線にSLが走ることになった。今年は会津で全国SLサミットがある。
友人はいつも自慢の彼女の話をするかのごとく、陶酔したようにSLの話している。「どこがおもしろいんだ!」内心そんな気持で写真撮影に付き合う事にした。しかし現場に行って直ぐその魅力がわかった。あの待つ者の期待に応えるかのように哀愁を帯びた「ポー」という汽笛、煙を吐く機関車の躍動、挨拶するかのような警笛の音、俺が小さい頃、毎日当たり前のように見ていたSL、そのSLが想い出と共に迫ってくるではないか。なんだか胸が熱くなりおまけに涙が出てくるではないか・・いけない俺もはまりそうになってしまった。

| 01.親父の「ぼやき」 07月02日 10:28 | コメント 3 通 |

- 年を意識する時

 俺も、もう50歳になってしまった。最近何かと年の事を意識するようになってきた。特に老眼がどんどん進む。パソコンをいじり始めたら老眼が進んだような気がする。最近老眼の進行と共にこんな心境の変化が起きている。
(1)良い女を見ても、興味がわかなくなった(ほんと!)
(2)睡眠だけが楽しみになってきた(籠太での親父の居眠りは有名・・)
(3)酒飲みに行きたいと思わなくなってきた(情けない!)
(4)朝早く目が覚めて仕方がない
(5)やたらと涙もろくなってきた(朝の連ドラを見て泣いている)
(6)健康食品や怪しい薬にやたらと興味を示す
その他様々な変化が襲い始めている(何、俺もだって?・・)
ただ仕事に対してだけは逆に意欲的になってきた。それもムラムラと・・・何?嘘こけだって?是だけはホンと籠太の親父の作る料理今が食いどきだ!

| 01.親父の「ぼやき」 03月07日 16:26 | コメント 6 通 |

- 熱い志が欲しい

 全国の色んな地方のお酒を扱っていると地元のメーカーさんはどんなお酒が置いてあるか気になるらしく『どんなお酒が売れていますか』とよく聞かれる。いったいどのような意味なのだろうかと考えてしまう事もある。
 友人の造り酒屋に同じ様な事をことを聞かれたのでこう応えた。
「あんたとこもお酒におまけをつけたり、金粉入れたり、松茸を入れたりするのを止めろよ。そんなことしているとだめになるよ」と言った。
後で余計な事を言わねばよかったと後悔した。
 近頃はこんな質問をする酒屋はさすがに少なくはなった。どうしたら安い材料でごまかしていい酒に似たような酒を造ることしか頭にないらしい。
贋物はどこまで行っても贋物である。
 どんな酒が売れるかという質問より、俺は逆に聞きたいどのような気持ちでどんな酒を造りたいのかを、酒に対する熱い情熱が欲しい。そんな酒を造る地酒屋を応援したい。

| 01.親父の「ぼやき」 02月25日 18:26 | コメント 7 通 |

- 笑うに笑えない話

 居酒屋を始めて、自分の好きな酒を置き始めたら地元のメーカーからは当然のように嫌われた。別に地酒を売らなかったわけではない。いい酒はきちんと評価して売っていた。おそらく販売量からすれば地酒のほうが多かったように思う。
 しかし私の悪口だけが聞こえてきた。「なんで会津で新潟の酒を売るんだ」、店まで来て言っていた。酔った勢いで「お前の店なんか潰してやる」なんて言う地元メーカーの営業もいた。もっともその前にそのメーカーが潰れるのではないかと心配した。
 俺にとっては会津であろうが新潟であろうがそんな事はどうでも良かった。自分が納得する事が基準である。
 当時から東京郊外のデイスカウントストアでは会津の酒が信じられないような安い値段で売られていた。数年して風向きが変わってきた。地元の酒造組合から販売の現場の声が聞きたいと講演を依頼するようになってきた。いいたいこと話してきたつもりだ。
 本気でこう話した。「こんな事をしていると全滅する!」
 後は何を話したかはよく覚えていない。講演には数回招かれたがいつも反応が鈍く後にむなしさが残った。まったく笑うに笑えない話である。

| 01.親父の「ぼやき」 12月20日 16:25 | コメント 22 通 |

- 駄酒は飲むな

 カウンタ-に立ち、酒を飲んでいるお客さまを見ていて思う。人間は飲んでいる酒に何だか似てくるなと・・・・似ているから惹かれるのか飲んでるから似てくるのかは定かでないが、いい酒を飲む人は人間もいい。十年近く内側から見ていてつくづく思う。
 だから友人やうちの若い者にはよく言ったものである。駄酒は飲むな。飲むならワインでもスコッチでもいいものを飲め、高い酒が決していいものとは限らない、しかし自分が飲んでいる酒に似てくるぞ!と半分脅し口調でいったものである。
 今日も酒を飲んでいるお客さまを見ていて思う。

| 01.親父の「ぼやき」 11月19日 19:00 | コメント 6 通 |

- 頭で酒を飲む話

 恥ずかしい話だが、利き酒をして銘柄を当てることを友人と数回行っていつも私は最下位のほうになってしまう。「籠太の親父らしくない」という冷ややかな視線を感じてしまう。酔った意気まで罵倒するが如く露骨に言うやつまで現れる。生意気な女が娘の如くの口調で、「信じらんない~!」なんてことを言いながら、俺のほうを侮辱の眼差しで見ていることもあった。
 利き酒は俺には恐怖だ、正直言おう俺は酒の味はよくわからない、どうもあの舌先でずるずるやるあの利き酒は苦手だ。
 まだ美味しい日本酒との出会い、その魅力にのめり込みかけている頃、はっと考えた。俺は酒を舌で味わってないんじゃないだろうかと・・・どうも前頭葉のあたりで飲んでいるような気がしてならない。そんな事を利き酒の席で言うと益々馬鹿にされてしまった。しかし馬鹿にされようがなんだろうが、俺には確信があった。
 頭で飲んだほうが解る事だってある、最近は飲んでいるうちに蔵の事情がほとんどその蔵に行かなくても見えてくるような気がしている。後でその蔵に行ってみると予想はほとんど当たっている。

 
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