| 04.親父の「食い意地紀行」 08月15日 00:18 | コメント(0) |

- イタリア食い意地紀行14(フレンツェでの昼飯)

フレンツェの市場1

フィレンツエの昼飯
私達がお店で使用している。オリーブオイルを輸入している朝倉さんが、出かける前に籠太にイタリア人の友人、マリオさんをを連れてきた。

彼はオーガニックのパスタを、アドリア海に面する小さな町で家族で生産し、イタリア中のお店にトラックで移動しながら卸して歩いているという。彼に フィレンツエで食事をするなら何処がいいと聞いて置いた。

「フィレンツエにいった時、昼飯なら僕は中央市場の中にあるパッチニー(イタリア式サンドイッチ)を食べる。それにあの店の牛の内臓の煮物は最高さ・・」そんな話を聞いていた。
市場の立ち食い


今回の大きな目的は市場でパスタやオリーブオイルそれに食材の調査をする事が目的、昼飯時を狙って中央市場を目指した。

途中イラン人や中東の人が経営しているテントの露天街を通り中央市場へ着く。

日本の基準と異なり市場の中では、食材の販売の仕方や販売方法など何もかもが面白い。

肉売り場や様々な惣菜売り場の間をくぐり抜け、目当てのイタリア式ファーストフード店をようやく見つけた。マリオさんがいっていた店はこの店のようだ。

店の前には行列が出来ていた。列の並び先に食券を買い求める、すると突然2人前にいた男が店の店員と大きな声で喧嘩を始めた。暴力こそ振るわないがすごい剣幕でがなり立てる。
生ハム


結局騒ぎが収まるまでしばらく待たされた。食券を差し出すとパンにお肉と野菜を挟んだ目当てのサンドが来た、怖いかをしていた店員がニコニコして、緑色のソースをかけるかと聞いているらしい・・

朝倉さんやマリオさんの話によると、この店はレストランのコックたちがよく利用している店だという。

硬いパンに串刺しにして肉の煮たものをナイフでスライスし、これに野菜と共にサンドしただけのシンプルなものだ。何だかトルコ風の感じがしないでもない。

店のカウンターの端で立ち食いをして食事を済ませた。
味は油濃かったが大雑把な感じがした。でも不味いわけではなかった。今回内臓の煮物が食べられなかっ他のが残念だった。

+写真上から市場の2階から、美味しいお店のカウンター、無造作に並べられている豚の股のハム。

| 04.親父の「食い意地紀行」 08月14日 10:12 | コメント 1 通 |

- 食い意地紀行13(フィレンツェ昼飯前)

フィレンツェの路地

ミケランジェロ広場を後にして、バスはアルノ川の川岸にあるバスの駐車場に向かった。

私達はそこから歩いて徒歩で旧市内に向かう、町の中は車やバスが制限されていて自由には入れない、でも小さな町なので町の中心のサンタ、マリア、デルフィオーレ(ドゥオーモ)大聖堂まではそんなに時間がかからなかった。

ただここも世界中から集まる観光客でごった返し、この花の聖母の大教会の内部に入るに行列が出来ていた。その行列の観光客目当てに不法移民たちの物売りがたくさん並んでいる。北アフリカから来た黒人が多い。

警官が来ると、見る間にそれらの店の荷物を折り畳んで何処かへ消えてゆく。ジプシーの物乞いも多く、目の前で赤ちゃんを抱いた物乞いが警察にしょっ引かれていった。
ビーナス



そのあとウフィツィ家の邸宅をそのまま美術館にしたウフィツィ美術館を見学、時間を十分に掛けて美術品を見て歩く。
特にあの有名なボツテイチェッリの「ビーナスの誕生」と面会する。11時40分から、再び美術館前の広場に集合そこから夕刻まで自由時間になる。

*写真はフェレンツェの路地、見通しが悪く、多くの人が迷うようだ。


| 04.親父の「食い意地紀行」 08月13日 10:00 | コメント 3 通 |

- 食い意地紀行:12(フィレンツェ)

フィレンツェ1
フィレンツェ郊外の宿のホテルで早朝目を覚まし、ホテルの外を散歩してみた。この宿は高台に位置しトスカーナの丘陵地帯が360度に見える

なかなかいい場所にある。南ヨーロッパ独特の透き通るような空気の中でトスカーナの大地が輝いていた。

私達は宿でのパンと簡単な飲み物の朝食を終えて、フィレンツェに向かう。しばらくして山の上からフィレンツェのまちが見えるミケランジェロ広場に行く。

そこでしばらく自由時間があり眼下に広がるフィレンツェの町を眺めたり買い物をしたりして時間を過ごす。
ミケランジェロ銅像の前


この場所はナポレオンやヒットラーも佇み、ここからフィレンツェの町を眺めたはずだ。おそらく町の景色はそんなに変っていないはずである。親父ナポレオンの心境に
なってフィレンツェの町をながめる・・・
*写真ミケランジェロ広場からみたフィレンツェの町とミケランジェロの銅像のレプリカの前でくつろぐ女将さん。


| 04.親父の「食い意地紀行」 08月08日 16:21 | コメント 11 通 |

- 食い意地紀行11トスカーナ

民家
トスカーナの丘陵地帯の曲がりくねった道をバスはどんどん進む。車窓からトスカーナのおしゃれな民家が見える。

まもなくフィレンツェだという頃に、同乗者達は目を覚まし始めた。山と山に挟まれた狭い盆地にまだ日が高い夕刻、フィレンツェの町が見えて来た。バスは高級住宅街の中を通りやがてフィレンツェの町に入る。

けばけばしい看板やネオンサインもない、中世がそのまま残っているような静かでいい町だ。そのまま止まらずにアルノ川沿いに走り、郊外の宿泊ホテルに向かう。

ホテルはここから車で30分ぐらい郊外の高速道路のインター近くにあった。このホテル家族で経営しているらしく、まだ若いむすこらしき青年が何もかも(ドアマンやフロント、又夜はバーのカウンターまでこなしていた。

外国人が多く泊まっているようだった。私たちはホテル食堂でアメリカの団体と中国の団体と食堂で一緒になった。

デザインからすると1960~70年代に出来たらしく白黒映画の時代のイタリア映画に出てきそうなホテルだった。

食事の時坊主頭の目が鋭い、イタリア映画のギャングのようなウエイターが食事を運び、食事よりもその男のしぐさがおもしろかった。

当地の特産キャンテーワインを注文、飲みながら食事をした。郊外のため近くに飲食店もなさそうなのでそのまま寝てしまった。夢の中はトスカーナの大地・・



| 04.親父の「食い意地紀行」 08月05日 09:50 | コメント 7 通 |

- 食い意地紀行10 - トスカーナ

トスカーナ
夢のようなベネチアを後にして、再び水上バスに乗り込み、バスが待つ駐車場へ向かった。

港には豪華客船が数隻停泊しているのが見えた。バスはやがて高速道路に入り、フィレンツェを目指す。

俺は今回の旅でバスの中から見えるイタリアの風景が何よりも気に入った。果てしなく続く麦畑や草原、その岡の上に立ち修道院や教会そしてその下にある薄茶色の町並み草原や麦畑の中に赤いヒナゲシがが何処にでもあった。

バスはやがて山岳地帯の高速道路に入りはじめる。途中バスの運転手の判断で、週末渋滞する高速道路を避けて一般道を走り始める。

イタリアの山岳地帯は日本と違い樹木が非常に少ない。糸杉が並ぶ農家や緩やかな丘が続くトスカーナの田園風景を一人堪能した。

さっきのベネチアで疲れたのかほとんどの人がバスの中で寝ていた。


| 04.親父の「食い意地紀行」 08月02日 09:02 | コメント 8 通 |

- イタリア食い意地紀行9 - 親父ゴンドラに乗る

ベネチア
集合場所に時間になってもこない・・。どうしたことだ!妻の方向音痴は相当なものだから心配はしていたのだが・・。

仕方がないのでしばらく残って待っていた。約束の時間から遅れること20分、やがて広場の隅から走ってくる姿が見えた。買い物をしているうちに方向がわからなくなったのだという。「だから言ったでしょう、別行動だと必ず迷子になるって」と心の中で思いながら、顔はニコニコして待ってたよてな顔をしてた。

そのうちガイドさんが親切に迎えに来てくれて、ゴンドラ乗り場へ連れて行ってくれた。ガイドも乗り場をどうやら間違えたらしい。そんなこんなで無事にゴンドラに乗れた。いくつかあるゴンドラ乗り場は世界中から来ている観光客でごった返していた。

けっこう波が荒い海にゴンドラは走り出て、途中から運河に入ってゆく。狭い水路の中を潜り抜け運河の中の船着場に到着する。

運河
途中すれ違うゴンドラのお兄さんは歌を歌っている人もいたのに、このお兄さんはすれ違う船とニヤニヤしながら大きな声で冗談を交わすだけでサービス精神に欠けている。

同乗のおばさんがカンツォーネでも謡いなと日本語でまくしたてていたが、お兄さん早く仕事を終えてビールを飲みたいとでも思っているのか、涼しい顔をしている。

*写真 せがれのデジカメ


| 04.親父の「食い意地紀行」 08月01日 17:20 | コメント 3 通 |

- イタリア食い意地紀行8(ベネチア)

senndou
船着場に上陸した私たちはあちこち散歩しながら見て歩く。まだ朝が早いせいかそんなに人がいない時間だった。

ベネツィアングラスの工房を見てから昼食、路地裏のレストランに行ってイカスミパスタを食べる、意外にも淡白な味に驚く。いなせなウイェターが鼻歌交じりにパスタを運んでくる。

日本人が多いらしくべらべら日本語を話す。ビールを飲んだがこれが美味しかった。その後自由時間があり家内や倅と別れ路地裏の散策を始める。

イカスミ
迷路のような狭い路地を歩いて仮面屋の工房やお土産や、バールでコーヒー(カプチーノ)を飲んでノンビリすごす。

常日頃親父のリーダーシップに辟易している我が家内と倅は何処かをさまよっているようだ(迷子が心配)。

ビール
しばらくしてサンマルコ広場へ戻りで楽団の演奏を聞いていたら、どこからともなくジプシーの女が近寄って来て、私に微笑みお金をくれという。それを断ったらすごい剣幕で何やら怒鳴っている。

やがて集合時間になっても家内と倅が来ない。ああ~ゴンドラに乗り遅れる!



| 04.親父の「食い意地紀行」 07月30日 19:27 | コメント 3 通 |

- イタリア食い意地紀行7

べにす1
朝起きると同時に、近くを散歩してみた。ベネチアの郊外にあるらしいこの辺りはツーリスト専用のホテルが、通りにに面して立ち並んでいる。

日本で言えば秋の日差しとでも言うのか、少し煙るような朝の光の中を通勤やランニングをする人が通り過ぎてゆく。

ホテルに戻りお決まりのようなパンと飲み物の朝食を済ませバスに乗りこむ、さあ今日はベネチアだ。アドリア海に面したベネチアは「水の都」「アドリア海の女王」と称えられ一時代を築いた。ベネチアは117の島と150の運河、400の橋で成り立つ水上都市だという。



広場にて
バスは高速道路を降りると、やがて運河を埋め立てた長い橋を渡り駐車場へと付いた。ここからは水上バスで行くことになる。

波の結構荒い海を水上バスの運ちゃんが仲間のバスとすれ違うたびに大声で冗談を言っている。まもなくベニスの町並みが見えてきた。

サンマルコ大聖堂やドゥカーレ宮殿それを取り囲む多くの美しい建造物郡がこの世のものとは思えない光景として広がっている。


| 04.親父の「食い意地紀行」 07月30日 17:35 | コメント 2 通 |

- イタリア食い意地紀行6

北イタリアの丘陵地帯
ベローナを後にして私たちはアドリア海の水の都ベネツィアを目指した。北部イタリアの丘陵地帯と田園風景が夢でも見ているかのように美しく輝いている。

2日め日、やがて夕刻、私たちは高速道路の近くのこじゃれたホテルに宿泊した。海外旅行のツアー専用のホテルらしく、私たちのほかにもアメリカから来た老人会らしき団体と食堂で一緒になった。

ヒナゲシの草原
みんなぶくぶく太り、すごい食欲に負けそうだ。息子が「俺よりすごい人がいっぱい」とあきれていた。

メニューは前菜がぺンネと第二の皿が魚のフライ状のもの、ペンネはおいしかったが、第二の皿が安いボラかなんかなのだろうか、いやに泥臭さが気になった。どうもこの旅は料理は期待できそうな予感がしてきた。
ぺんね



クーラーが前泊のホテル同様ない。町に魚の匂いというか、磯臭いにおいがした。おそらく海が近いのかもしれない。今日の夜もあのムクドリたちが一晩中「カンツォーネ」を歌っていた。




| 04.親父の「食い意地紀行」 07月21日 07:07 | コメント 2 通 |

- イタリア食い意地紀行5

ベローナ
昼食後私たちはバスでベローナへ向かう。バスの窓からは北イタリアの丘陵地広がる景色を眺めながらカルダ湖の前を過ぎてイタリアの世界遺産の都市ベローナへ目指す。

それにしてもイタリアの運ちゃんのスピードを出す事はすごい!時速180キロぐらいで高速を走っている、何よりも怖いのは車間距離をあんまり意識しない事だ。慣れるとは恐ろしいもの、俺もそのうちに、この荒々しい運転を気にしないで平気で眠るようになってしまった。

目が覚めると、蛇行する美しいアディジェ河を私たちのバスは渡っていた。この町は城壁に囲まれた世界遺産にも登録されている珠玉の中都市です。

ジュリエットの家
日本でいえば京都に次ぐ金沢という所だろう。この町の中心の「エルベ広場」へ黒い石畳の道を歩いて向かった。中世そのままの都市だ。

そこで少し自由時間があり近くの高くそびえるランベルティの塔へのぼる。そこから見渡す世界遺産の町は素晴らしいものだった。

街には200を越える教会、ローマ時代の円形劇場などが見えた。それから私たちはロミオとジュリエットの家に向かう
bero-na3


(*女将と親父のツーショット女将が、触っているのがジュリエットの像の乳房。なぜか女性が皆触っていた?)


| 04.親父の「食い意地紀行」 07月17日 09:19 | コメント 12 通 |

- イタリア食い意地紀行4

ミラノの城
イタリアの朝はあのかろやかなしかもうるさいムクドリの鳴声で起きた。

ホテルの地下の食堂でパンと飲み物だけの朝食を食べた後ホテルを出て私たちはスフォルツェコス城へ向かった。

いかにもヨーロッパの中世の城城を囲む堀の中に石の砲弾がごろごろしているのが印象的だった。城の中ではレオナルドダヴィンチの展示会が行われていたが時間が無く断念。
アーケード

そのあとガリレオ ウィツトリオ エマヌエーレ2世という長い名前のショッピング街に行く。1877年完成というガラスと鉄の骨組みの巨大な建物をお登りさんよろしくきょろきょろしながら息子と二人でバール(イタリアの軽食喫茶)にいき美味しそうな物を物色。

ショッピング街を抜けると目の前に修復中の巨大なドーモ(教会)が出現した。500年もの歳月をかけて作られた内部は荘厳な雰囲気と威厳に満ち圧倒される。

do-mo
それにしてもすごい観光客の数、まず日本人の多いのには驚かされる(イタリアは日本人の好みだという)。

昼食はミラノ風のカツレツとパスタ・・俺は不味かった。息子も家内も同じ意見(しかたがないか・・)。


| 04.親父の「食い意地紀行」 07月15日 23:51 | コメント(0) |

- イタリア食い意地紀行3

お尻洗い
ミラノの夜
アムステルダムで乗り換えた飛行機はやがて宵闇迫るミラノ空港へ着陸した。

そこから私たちは高速道路をホテルへ向かった。イタリアらしいおしゃれなホテルだった。ところが少し蒸し暑いと思いエアコンのスイッチを探したらどこにも無い、あわててフロントに電話をしたら「ない」という。何てことだ!エアコンが無いなんて・・。

また、トイレに入ると不思議な洗面器がトイレの脇に同じような大きさである。後で判ったのだが「お尻洗い器」だという。こんなのはじめて見た。イタリアは法律で「お尻洗い器」を付ける事が義務付けられているのだと言う。お尻を器に突っ込んでジャブジャブ洗うらしい。

一晩中熱帯のジャングルにでもいるかのようにかん高い鳥の鳴声がしている。後で知ったのだがヨーロッパに住む「むくどり」の仲間だと言う。

イタリアのムクドリは日本の駅前の街路樹をねぐらにしている輩のように下世話な鳴声はしない。まるでカンッオーネを詠うかのように一晩中鳴いていた。


| 04.親父の「食い意地紀行」 07月14日 11:04 | コメント(0) |

- イタリア食い意地紀行2

くも
事なきを経て成田を出発。

飛行機は北海道上空を経て、ロシアのタイガ-(大森林地帯)やツンドラの上空を飛び、やがて北極海の氷の上を飛んでいるのが見えた。オランダのアムステルダム空港へ向かい、そこからミラノ行きの飛行機に乗り換える予定だ。

KLMの客席は予想以上に広く中々快適であった。だた、景色を見ているよりも、寝ている時間が長かった。行機の振動音が眠気を誘い、起きたと思うと又寝る今までの寝不足を取り戻すかのように寝込んだ。

ロシアの上空もまもなく終わりに近づこうとする時に機内に急病人が出たという機内放送があった、どうやらお医者さんが乗客の中にいないかどうかと聞いている。幸い2名の医者が同乗しており、彼らの判断でフィンランドのヘルシンキ空港で病人を降ろすという機内放送がまもなく流れた
空から

飛行機は急降下し、やがてフィンランドの森林地帯や牧場、民家も見えてきて、あちこち大きな岩がむき出しのヘルシンキ空港に着陸した。

どうやら病人は私の後ろの席にいた60代~70代の男性のようだった。飛行機は給油を終えて1時間ほどして離陸を始め、ロスした時間は1時間。添乗員が乗り換えにはまったく問題がないことを告げに来た。


| 04.親父の「食い意地紀行」 07月13日 23:39 | コメント 1 通 |

- イタリア食い意地紀行1

オランダ航空
5月の連休も終わりに近づく頃、親父の疲れはピ-クに達していた。連休後半に風邪を引き、咳が止まらなく微熱が続き長引いた。

幾ら仕事好きの親父でも限界はある。調理にミスが多くなり、思考能力もおちてくるのがわかった。突然息子が「ああ~イタリアにでもいきてえな~」とぼやいていた。

気がついてみると、オリーブオイルを個人輸入している友人の影響で、イタリアの料理がメニューの中に増えていたし、何よりも素材の味を引き出すオリーブオイルの使い方には学ぶ事が多かった。いつかはいってみたいと機会を待っていた。

その友人がイタリア人のマリオさん(家族経営でオーガニックのパスタを作り販売している)を連れて籠太に遊びに来た。本場の料理を見てみようと言う話になり即座に行こうてな話になった。

開店20年を経た店は、あちこち修理やメンテナンスを必要とし、特に調理場の設備が古くなり入れ替えや補修が必要になっていた。特に屋根や外壁雨漏りの補修工事もしなければならない時期に来て、その日程を決めかねてもいた。

こうしてイタリア行きは決まった。インターネットで安くて良さげなツアーを探し、HISという人気の旅行会社のツアーを見つけて申し込む。

こうして23日夕方、成田に着いた私たちは「日航ウイングホテル」に前泊し、翌日、飛行場で他のツアーに同行する人たちと合流、午前11時発のKLMオランダ航空のジャンボに乗り込む予定である。

ここで問題が起きた、親父は1回目の例のごとく間抜けさをさらけ出す。何と!成田でHISの受付カウンターでもらったばかりの搭乗券を落としてしまったのだ。

イタリア行きもこれで終わりかと落胆していたら、幸いにも、拾った人がKLMのカウンターに届けてくれた。どじと間抜けの珍道中の始まりである。


| 04.親父の「食い意地紀行」 11月23日 22:50 | コメント 164 通 |

- 新潟居酒屋放浪記・・完結・・

のっぺじる
・・・きぬおとめ・・・
「杉」を出てすぐ近くに二件目の居酒屋、二幸へ立ち寄る。雪中梅を注文し、昔の職人の雰囲気を残した親父さんのなめろうと蟹しんじょうの餡かけを頂く、むすめさんに「会津に嫁に来ないか」なんてからかいながら、しばらくしてお店を後にする。昔から越後から嫁をもらうと金持ちになると言われていた。

そのあと、つるちゃんの隠し玉の店に案内するという。昔の遊郭の町並みの雰囲気を残す路地をあるいてゆくと、つるちゃんは「酔泉」という中々雰囲気がいいお店に入った。奥から中々色気のある女性が「いらっしゃい」とにこやかに出迎えてくれた。

まずは瓶ビール 、このころになるともともと酒に弱い親父、お腹も酒も限界に近づいてきていた。それでもお通しに出された「はないか」の煮付けのうまさに愕然。

気を取り直して新潟名物の「のっぺじる」を頂く。これが又美味い、特にのっぺじるに使われているこのサトイモは「きぬおとめ」だと思った。きぬおとめがつくる「きぬおとめ」ののっぺじる・・?(何言ってんだろう俺・・)

昔芸子だったというママの顔がますます「絹乙女」に見えてくる。いい店だな~つるちゃん!俺こんな店大好き、とにかく食べ物がうまい。つるちゃんに、俺近所にこの店あったら毎日来ちゃうなんて言っている。

しばらくしてつるちゃんの奥さんが迎えに着たので、「きぬおとめ」に別れを告げて宿泊先のホテルに向かった。その晩は心地よい夢を見ながら眠りについた事はいうまでもない。(みんな!五泉にいくなよ・・俺は又行こう)


 
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