まだ2月だというのに、雪融けの頃のような日が続く。
お客様の中には、ふきのとうを採ったとお土産に持ってくる人もいる。今年はそのくらい暖かい。米沢のお客様から米沢の城下に、昔消間遊というのがあると聞いたと主人が話していた。
昔から藤原家隆の和歌に代表されるように、日本人にはこの雪融けの頃に特別な想いを抱いてきました。
雪融けの頃に、お弁当を持って日当たりの良い土手などに座り、遠くの雪に覆われた峰々を眺めながら、楽しく過ごしている情景が目に浮かびます。
おそらくそのお弁当の中には、寒中に作られた、凍み大根の煮物などがあったはずです。米沢の郊外川西町やその周辺は昔から凍み大根つくりが盛んだったと聞いています。
お天気が良くても、時折まだ肌寒い風と春の到来を
思わせる日差しの中で、雪どけの中にも幸せを見出す北国の里人のゆかしいこころが偲ばれます。
*写真は山形在住の樋渡様よりお借りいたしました
ホームページ光と風の世界
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新潟からおいでになるお客様から、3月も近くなると毎年雪椿を送って頂く、雪椿は藪椿と並び日本の椿の原種だと言われています。
会津盆地周辺の里山では、野生の椿をあまり見かけないが、南会津の山々方へいきますと見ることが出来る。
会津のものは新潟の椿とよく見比べますと、葉の形や花の色、微妙に異なるどうやら藪椿のような気がする。
こころ優しきわたしたち日本人の祖先は、この花の変種や交配種を大切に育て、様々な品種を生み出してきました。
江戸時代の中ごろにはオランダに渡り、ヨーロッパに大ブームを巻き起こしたとも言われています。そして歌劇「椿姫」の上演となるわけであります。
逆にヨーロッパの品種が逆輸入されて更に品種が増えることになるのですが、改良され尽くし、枝が折れそうなくらいたわわに大きくなった、色とりどりの椿にあまり魅力を感じない。
むしろあの越後の山に咲く、小ぶりの刺すような深紅の雪椿にこそ本当の美しさがあるような気がする。