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今年も冬の訪問者達が我が家の庭に来はじめた。その中でもシジュウカラはとてもかわいらしい。
よくみると、どうも小さな鳥たちは混生した群れを作っているらしく、枝の幹をつついている隣で、メジロやジョウビタキが別の餌をついばんでいるように見える。
我が家の畑も収穫を終え、畑を貸している大竹さんが大根を冬用に土に囲い込んで埋めておいた。
この畑も、十年近くにわたり調理場から出る漁粕や蟹や海老の殻を、長年にわたり鋤きこんだせいで肥沃な土壌が出来上がっていたらしい。
その周りにはたくさんの虫や生物が居るらしく、小鳥にとっては魅力的な餌場になっているようです。
一月ほど前に新潟のお客様からピンク色の大文字草の鉢植えを頂いた。大文字草は白いものと思っていたのにこんな色の花があることにまず驚いた。
そういえば私達は野山の花を見る機会はあるが、山野草店にはあまり行かない。このお客様が病を経て、久しぶりに来店した時にもって来てくれたもの。
元気な姿を見れたのが何よりも嬉しかった。それにしてもこの大文字草、突然変異種を園芸用に改良したものなのかどうかよくわからないが可憐でとても美しい。
そう言えば近所の人が春4月ごろ春蘭の展示会をしている。きけば野山を歩き回り春蘭の突然変異種を探し回るのだという。それはその好事家の市場のような所で、驚くような値がつくともいう。
暖かい12月気候のせいか、今年我が家の路地にある白い大文字草はどういうわけか花を付けない。
蹲の排水溝の近くではもう限界なのかもしれない。もう植え替えが必要なのかも・・
秋が深まる会津盆地の里山にリンドウの花が咲き始めた。
湿り気の多い人里近くの比較的日当たりのいい場所に咲いている。リンドウは秋の花としてはとても美しいが
茶花となるとなかなか気難しい。
この気難しい美しい花は、飾ろうと家に入れようものなら開くことなく朽ちてしまうなかなかの困り者。
昔からこの花の根は漢方薬として古くから親しまれてきました。その苦さたるやまるで龍の肝のようだといわれたようです。
枕草子のなかに清少納言は、「こと花どものみな霜枯れたるに、いとはなやかなる色あいにてさし出でたる」、と書いている。
数日前、リンドウを採取した状景が正にそのようなものでした。黄昏時の山間の小道に、季節とは裏腹にはなやかに咲いていた。
良く見ると、群落を作ることも無くポツリポツリと咲いている。このはなが会津盆地の里山に咲き始める頃、会津の郷にも霜が降り始めます。
10月の今頃、我が家の庭先の端に茗荷の花が咲いてくる。我が家では茗荷を植えた記憶が無い。どうやらお隣の庭から
移動してきたようです。
お店の裏、狭い堀の跡に少しばかり生えている。もともと日陰が好きらしく、日当たりのよくなった駐車場の傍らは茗荷も住みにくそうであります。
茗荷には、花茗荷という種類もあるらしく、地面から花芽が出てくるのでなく、葉の先に普通の花のように花芽をつけるといいます。残念ながら私は見たことが無い。
今頃、農家の方や、社員の関橋さんから毎年茗荷をいただく、昔から茗荷を食べると物忘れをするという迷信がまことしやかに言い伝えられています。
調べてみますと仏教説話のなかにある、物忘れのひどい、お釈迦様の弟子の話のようであります、その弟子が死んだ墓に見慣れる草が生えてきたそれが茗荷だというものです。
それを信じてか、おかしい事に知り合いに物忘れをするからと絶対に食べない人がいる。
茗荷はわたしたちのお店で刺身のつまやお漬物の添えの大活躍します。
又山歩きをしていますとこんな場所にと思えるようなところに茗荷の群落を見ることがあります。昔人が住んだ跡なのか、もともと自生の物なのかよくわからない
10月も初め会津の人里で彼岸花を見かけるようになってきた。彼岸花も不思議な花だといつも思う。
地面から突然茎が伸びてきたかと思うと、いつの間にか美しい花を咲かせる。
近頃は除草剤のせいなのか、あるいは人気が無くなってしまったのか、花の姿を見かけなくなりました。
それにしても、彼岸花のあの独特の赤は何と表現したらいいのでしょう・・
長い間、花の後に葉が伸びてきて冬を越す事を知らないでいた。一度も葉の姿を確認していない。
そういえば、葉と花を同時に見ることが出来ないので韓国では「相思花」サンチョというとどこかのHPで見たことがある
日本の彼岸花の語源は何なんでしょうか今度調べてみようと思う・・
この花を見るたびに、以前主人から教わった。フオーク歌手笠木透さんの「川のほとり」の一節が心の中に流れてゆきます。
「めぐる秋の風が吹く、川のほとりの彼岸花、真っ赤に燃える花なのに心を寄せる人もなし」