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7月の今頃暑さから逃れるかのように裏磐梯に行く事がある。湖沼近くの湿地や道路の脇の崖、ブナ林 のなかなどに
白いノリウツギの花を良く見かける。
山を伐採したりすると一番先にこの木が生育するという話しを聞いたことがある。清楚で美しい花の姿とは裏腹になかなかたくましい生命力をもっているようです。
花の語源はこの木の樹皮から採った樹液が、和紙をつくる時の糊に使われたからという。ウツギとは言ってもアジサイの仲間らしく花の形を見ればすぐに判るが花の形は自由奔放で定型が無いように見える。
先日、主人とヨツバヒヨドリに群がるアサギマダラと言う蝶に会いたくて、裏磐梯の奥にあるデコ平湿原に行ってきました。
グランデコスキー場のゴンドラ乗り場からゴンドラに乗り
西吾妻岳の方へ昇ってゆきます。ヨツバヒヨドリは花が咲き始めていましたが残念ながらアサギマダラには出会えなかった。
そのかわり高原はいたるところにノリウツギの白い花に飾られていたのが印象的でした。竹の籠などに似合うのでしょうがこの花は活けた事が無い。
登山開始から 約1時間、藪の中にハクサンシャクナゲが見えてきたと思ったら道路は木道になり、私たちは小さな小田代湿原にたどり着いた。
湿原の木道近くタテヤマリンドウやイワカガミ、ツマトリソウの可憐な花が咲いている。そこから更に30分、最後の急勾配をのぼると、霧に覆われた大きな湿原が私たちの前に現われた。
田代湿原です。霧の中を私たちは木道沿いに花を見ながらすすんでいく、ワタスゲが風に揺れて幻想的な湿原の木道沿いに、ここにもイワカガミ、タテヤマリンドウ、エゾノツガザクラ、の小さな花が美しく咲いている。
湿原を30分も歩いたでしょうか、雨が降り始めてきた。気温がどんどん下がり肌寒い、ハイキングのようなスタイルで登山を始めた私たちは、ろくな雨具の用意もしてきていない、あわてて「太子堂」という避難小屋にむかった。
避難小屋の中は電気も無いので薄暗く狭い、気温がどんどん下がっている。私たちはそこで汗ばんだ服を着替え昼食をとった。雨は雷鳴を伴い強くなってきた。。
昼食が終わり雨がやみ、やがて鳥の鳴声が聞こえ始めたので私たちは急いで避難小屋を後にして下山を始めた。
昔登山をしていた私たちはこういうときのどういう行動をすればいいかよく知っている。
膝を痛めている私には下山の方がつらいが、大急ぎで下山を始め、幸い雨にたたられる事も無く私たちは無事猿倉登山口に帰ることができた
沢沿いに作られた猿倉登山道は思いのほかに勾配が急だった。関東方面から来た方は早朝に登った人たちが多いらしく、登山道のあちこちで下山する人たちとすれ違った。
スポーツジムで鍛えている主人はなかなかの健脚、私はとてもついて行けず休みながら登山道をゆっくりと登る。
中腹辺りから、登山道に覆いかぶさるようにベニサラサドウダンの赤い花さいている。又その頃から私は履きなれないスニーカーに足が靴づれを起こし始めていた。
登山道の道沿いには、マイヅルソウやゴゼンタチバナの白いかわいい花が見られるようになり、そんな私を励ましてくれた。
お天気を気にしながら登ってきたが、山の上のほうは
次第に雨雲が大きくなり始めていた。雨が降らないことを祈りながら頂上の湿原を目指した
朝、家事を終えて私たちは南会津町舘岩の田代山に車で向かった。
国道282号線を田島から舘岩方面、主人の友人が経営するペンション「タンボロッジ」の前を過ぎたのが10時過ぎ、咲く花温泉を過ぎてそこから更に10数キロ、集落を過ぎたあたりから道路は狭く砂利道に変ってきた。
このあたりまでくると空気がひんやりしている。
道路の右手の原生林には木に絡んだイワガラミの白い花が最盛期を迎えている登山口の駐車場はすでに関東ナンバーの車で満車状態、仕方がないのでそこから少しはなれた駐車場に車を止める。
そこから登山道入り口に歩いていく道すがら、驚いたことに「オニシモツケ」の群落が道路沿いに続いている。会津の里山ではなかなかお目にかかれないのに、ここは気温といい湿度といいオニシモツケにはうってつけの環境なのかもしれない。
又よく見ると、オニシモツケの根元の葉の蔭には「ラショウモンカズラ」が花の盛りを迎えていた。
会津の里山よりも2ヶ月近く遅咲きです。又ヤグルマソウの白い綿状の花も咲き始めていました。
もう十年以上前になるでしょうか東山温泉の奥深く沢沿いの土手に白い綿状の花を見つけた。
清流の傍らで遠くから見たせいか、何かとても清楚に見えたが川を渡り近づいてみるとそれは意外と背丈の高く、根元も大きな株であった。
その花を主人は翌日スコップで根ごと掘り起こして持ち帰り、新築したばかりの我が家の前に移植した。それから毎年7月頃になると花を付けて楽しませてくれたが
大きかった株は手入れが良くないせいか次第にやせ細りいつしか消えてしまった。
それからこの花を会津では見ていない。ところが3年ほど前、秋田駒の山頂近くのお花畑でこのオニシモツケに再会する事になります。
オニといわれるくらい、花も背丈も誠に大きいもともとは葉の形からするとキョウカノコやシモツケソウの仲間なのでしょうが大きすぎて茶花としては活けるのが、これまたむずかしい。
それでも2~3回は活けてみたような気がする。咲いている場所を見ていると意外と高冷地や涼しいところが好きなようです。
ある日お店に来たら、カウンターの上に不思議な鉢植えがおいてあった。主人にこれ何?と聞いたら昨日の休日に「鳥玄」(市内にある高名な居酒屋)の主人と山に行って採ってきたのだという。
ハナワラビというのだと教えてくれた。言われてみれば葉も姿もワラビと良く似ている。よく二人は誘い合い山に出かけいることは知っていたが、あまり同業の方とお付き合いのない主人と、互いに見ている場所が似ているのだとおもう。
ハナワラビにも2種類あるらしく、初夏に咲くものと冬に咲くフユワラビと言うのがあるのだという。私はワラビは食べるものばかりと思っていたがこちらは山野草の愛好家の中で観賞用としてもてはやされているらしい 。
でも主人は自分だけで行ったら、他のシダ植物と仲間と見分けが付かないと話していた。
鳥玄さんは市内でも歴史のある居酒屋さん、品格のあるしつらいと会津の自然と文化を見事に商売に活かされている と主人は尊敬の想いを込めていつも話す。
せめてあの人の持つ感性の片鱗でもいいから学びたいと思っているらしい。この前は雪椿の群生地に連れていただいたと喜んでいた
会津の里山の緑が深まる今頃、沢沿いなどで葉が白化した蔓性の不思議な植物を見かける。
それが「マタタビ」だと判ったのも、そんなに遠い日の話ではない。それがわかってからしばらく食前酒や煮物にして前菜に使用したりするために採りに行っていた。
ただし、出来上がった食前酒は自分達の想いとは裏腹にお客様の受けは芳しくは無かった。杏や梅などの口当たりのよいものに押されて出番が少なくなってしまい
あまり使用する事はなかったと思う
でもマタタビの白い花は花がとてもかわいらしい、にこやかで愛らしいそんな印象を受ける。自然の中では白い葉に隠れるかのように葉の裏に咲くために人の目に触れにくく、何かはにかんでいるかのように咲いている。
茶花としてはなかなか活けにくく試した事は無い。マタタビといえばネコの大好きなもの今はあまり見かけなくなってきましたが、よく南会津の農家の軒先で冬に夜なべ仕事に編んだマタタビの白い笊や籠が軒先に下げられていた。
春の陽だまりの中にネコがマタタビの籠の中で幸せそうな顔をして丸まって寝ていたのを思い出します。
山形の上山から時々おいでになるお客様から、紅花の花を一抱えも頂いた。友人のお花屋さんが探してくれたのだという。
6月半ばから7月にかけてが最盛期のはず、頂いたのは1月も前、活花用に栽培された物なのでしょうが高価なものを頂いて恐縮してしまった。
紅花は山形が主産地、県の花のも指定されていると聞きます。昔は会津でも盛んに栽培されていたらしく様々な記録に見える。
原産地は何とエジプトだといわれていてエジプトではミイラの屍衣を紅花で山吹色に染めたと言われている。虫除けに効果があると信じられていたらしい
その後紅花は薬や染料に利用する目的で世界中に広まり栽培されたといいます。日本に渡来したのはシルクロードを通って飛鳥時代に伝わったとも言われている。
随分前に、乾燥して板海苔のようになっている紅花を誰から頂いた。それできれいな紅色の食前酒を作ろうとしてホワイトリカーに漬けてしばらく置いた、すると山吹色になったがいっこうに赤くなる気配が無い。
又香も独特で体にはよさそうな感じはしましたが、美味しいものではなかった。料亭時代たくさんの花の酒や木の実の食前酒を作りはしたがそのような失敗が多かったような気がする
私の実家の玄関近くの庭に毎年今頃になるとシラン(紫蘭)の花が咲く。
父が何処からかいただいてきたのか、白花のシランも咲いている。もともと野生のものらしいのですが、病気に強く育てるのが容易なので家庭で多く栽培される。
しかし自然界からは姿を消そうとしている絶滅危惧種だと言われています。日本、台湾、中国原産の地生ラン。もともと繁殖力の強いはずの物でも乱獲のスピードに勝てないらしい。
我が家に咲くものも白花だけが毎年その個体数を減らし、紅色のシランだけが増えてゆく。今年は白い花はとうとう1本になってしまった。
この花は日当たりのよい湿り気のある場所を好むという、そういえば我が家の玄関先は南向きのそういう場所だ。
ただどういうわけかシランの赤紫の花は私が色が嫌なのか、何処と無く品がなく思えて仕方が無い。そのたくましい繁殖力にそのような印象を受けるのかもしれない
十年前くらい前に新潟の「いきなりや」という有名な料亭になんどかお邪魔させていただいた。
手入れが行き届いた苔むした庭や季節に相応しい掛け軸やお花、いつ行っても感心させられたものです。
季節は6月の中頃、予約をした私たちを出迎えた仲居さんがまずは口汚しにと「流し素麺」のしつらいが用意された中庭に通された事を思い出します。
一口素麺をすすり、それから仲居さんはここんもりとした木立の中にある離れに案内してくれた。運ばれてくる美しい料理を味わいながらふと窓辺に目がいくと、お部屋の窓から見える木立のなかに、青い小鳥が来ているのがわかりました。
オオルリです。それにしてもいくら木がたくさん茂っているとはいえここは大都市の真ん中辺り、オオルリが来るとは何て素敵なんでしょう。
食事の手を止めて、暫くオオルリが枝から枝へ渡り歩くのを眺めていたものです。オオルリは夏日本に東南アジアから渡ってくるといわれている夏鳥。
オオルリといえば昔住んでいた主人の自宅の裏の崖の茂みに隠れた岩肌に巣を作っていたがある。窓辺から抱卵の様子を見ていたものです。
又私がよく花の採取に行く沢沿いの毎年決まった場所でその美しい姿を時折見かける。おそらくな何世代にも渡りそこら辺りをテリトリーにしているのでしょう
もう十年以上前になるでしょうか、ホウチャクソウの株を山で見つけ周りの土ごと我が家の庭に移植した。
採集した場所は東山温泉の奥の杉木立の傍ら、環境を同じような場所と思い、日当たりのあまり良くない場所に植えてみた。
それからあまり面倒を見ないのに、毎年季節になると花を付けてくれる。ただ地面が硬く栄養のないせいかあまり増えようとはしない。
葉の下に下向きに咲く地味で清楚な花だが、姿に似ず毒草である、春の頃この花を山菜と勘違いして事故がよくおきるらしい。
ホウチャクの語源はなんだろうと長い間知らないでいましたら、どうやら寺院の軒先によく下がっている「宝鐸」という装飾具のことらしい。
言われてみれば確かに形が似ている、たくさんの種類の花を移植を試みるが、お店や自宅も残念ながら、たくさんの野草を移植するほどの土地がない
里山の田んぼに水が入り寒暖の激しい日が続く、今頃会津の郷山の民家近くの空き地にオドリコソウの花を見かける。オドリコソウは昔子供達のよい遊び道具でした。
私もこの花の花弁を手でむしり取り、口に運んで蜜を吸って遊んだ記憶がある。花の先が漏斗の先のようになっていて、そこから吸い込むとほのかに甘い蜜の味がした。
時々あやまって蜜を求めて花弁の中に侵入したアリや小さな昆虫が口のなかに入り変な味がしたことを思い出す。
この花の名前は「田植え踊りの踊り子」に結びつけたといわれています、いわれてみれば笠をかぶった女性の踊り子を連想させないでもない。
花の名前は不名誉なものも多い中で、なんて素敵な名前を頂いたのでしょうか。そういえば常陸からの平塚さんから頂いた写真に笠をかぶった美しい女性の写真がありました。
この頃会津里町の伊佐須美神社では若い男性が女性に扮して田植えや舞をまう「お田植え祭り」が行われます。
会津の郷も山々が萌黄色から新緑の時期になってきた。
萌黄色の山々を見るたびに「平家物語」の平の敦盛を想いだします。十八歳の貴公子平敦盛が萌黄縅(もえぎおどし)の鎧を着て戦地に赴くくだりがあります。
当時若武者が萌黄色(若草色)の鎧を着て初陣を飾る事はよくあったといわれていますが、はかない最後をとげる平家の貴公子敦盛の生涯が、日本人の心を揺さぶり続け、この敦盛の生涯はその後能や様々な事で取り上げられることとなります。
古典を読むときによく色を想像して見る。日本人の色に関する感性は他の民族の及ぶところでないとまで言われています。赤でも何種類もありそれぞれに呼び名が違います。
この薄緑に近い萌黄色、昔はどのようにして染めたのでしょう、古の人は私たちには想像も付かない方法で絹を始めとする繊維を染める技術を持っていました。
調べていくうちに苅安(カリヤス)というススキのような植物でまず黄色に染めた布を藍(アイ)でさらに染めたことがわかりました。あの明るい緑色は日本人の繊細な美意識の中で作り上げられたのですね
5月に入り田んぼに水がはいったとおもったら 会津の郷も肌寒い日が続いています。
この時期になりますと、あちこちのお宅で庭にこのルピナスが華やかに咲いているのを見かける。
ルピナスついては、意外な逸話があります。あのアメリカで電信技術の進歩に貢献したグラハムベルの奇妙な行動をある本で読んだことがあります。
グラハムベルはこの花の種をポケットに偲ばせ旅先や仕事で訪問した、アメリカ中のあらゆる地方でこの種を密かに蒔き続けたともいわれている。
そのおかげでアメリカじゅうにルピナスの花が広まったとも言われています。彼が残した電話の発明のほかに
こんな事もしていたという驚くべき話です。
この行為が今の世の中であれば問題になりそうなことですが、たぶん彼はアメリカ中をこの美しい花で埋め尽くそうと密かに思っていたのかもしれません。
あるいは彼の故郷スコットランドがルピナスの原産地だからでしょうか。まるでアメリカ版の花咲爺さんみたいな話ですね
五月の連休が過ぎた頃日当たりの悪い沢地や雑木林でこの花木を見かけます。
まだ花が少ない時期だけに白い花は木立のなかでひときわ目立ちます。背丈もそう高いわけでもなくて採取もそんなにも難しいわけでもありません。
ただ地中海原産の先に書いた「ムスカリ」とは、名前は似ていてもまったく非なるものです。スとシの違い紛らわしい事に変りはありません。
名前の由来は、葉がハムシ科の甲虫によく食われるので、虫食われがなまって、ムシカリになったと書いてありました。別名オオカメノキ、大きな葉が亀の甲に似ていることによるらしいが、そう言われれば葉の形は確かに良く似ている。
この時期咲く山桜などに関心か行き、ムシカリはなかなか活ける機会が少ないのですが、枝ぶりも花も何か不思議な優雅さを持っています。
雪解けの冷たい水の清らかな流れ、温かな日差し、何かこの植物は不思議な命の輝きを感じさせてくれます