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会津の梅雨明けが近づくと民家の近くにノウゼンカズラの華やかな花を見かけるようになる。
花が次々と咲き落ちて辺りは花のむくろで埋め尽くされる、散る姿も哀れさを感じさせないほど華やかで強い感じがする。
生命力が相当強いらしく友人の家の前のものは、かなりの太さにになっていた。
改装のために枝を切ったのですがそこからまた新しい芽が伸びだし夏には花の球塊を作るようになってしまった。
この花はいつ頃から日本にあるのかも謎に満ちている
一説のよれば関白秀吉が朝鮮から持ち帰ったとも言われている。
「凌霄花」、漢字ではこう書くらしいが「凌霄花」は漢名からで、「凌」はしのぐ 「霄」は”そら”の意味で、 つるが木にまといつき天空を凌ぐほど 高く登るところからこの名がついた。と何処かのホームページに書かれていた
アメリカの70年代のヒッピーの間では、この花から薬が作られていたと書いてあるのを見たことがあるが何に効くかは忘れてしまった。
茶花には派手すぎて活けづらい、私の店では、いまだに活けたことがない。
7月も10日を過ぎる頃になると猪苗代湖の北側の湖岸にアサザの群落が花を咲かす。
この頃になると湖面の水温と大気中の温度差が生み出す霧に湖面が覆われる。
猪苗代に住む友人が夏の初めに胡瓜に似た黄色い花がたくさん湖面を埋め尽くす話をしていた。
葉は睡蓮に似ていているが、会津では猪苗代湖の湖畔以外では見たことがない。アサザとは浅沙、つまり浅いところ生育する事に由来するらしい。
花は朝早くに咲き午後になるとしぼんでしまう、人間から見れば、何ともはかない花のように見えるが生態的には見事な繁殖システムを持ちあわせているという。
最近この猪苗代湖で最近湖水の汚染が進行しているといわれています。
温暖化、生活排水や農業肥料による汚染、特に北側は生活排水や農業肥料が大量に流れ込むためか、それを肥料とする葦の群落が湖岸を多い尽くす。
遠浅のその先にアサザは咲いている。それもここ十数年であっという間に汚れてしまったという。
霞ヶ浦ではこのアサザが水質改善のためにアサザプロジェクトとして移植などで水質の改善や環境修復に成果を挙げていると聞いた事がある。
もしかしたらこの汚染とアサザの繁茂、猪苗代湖の水質改善にも役割を果たしているのかもしれない。
七夕になると梶の木野葉 に和歌を書いて星に供えるという風習が、古代の日本にはありました。
古来梶の木は神木として神社などにたくさん植えられてきました。しかし残念ながら東北地方ではほとんど見かけないといいます。
私たちも料亭時代に、この故事にちなみ、梶によく似た桑の葉を、この七夕の頃になると料理の敷き葉として使用していた。
あるときお客様が、この意味がわかったらしく、「ここの料理人はなかなかの勉強家ですね」とお褒めの言葉を頂いた事があります。
開店以来意味をお分かりいただけた方は初めてでした。環境変化が激しく、人の価値観や幸福感が薄っぺらくなる時代、仕事と向き合いながら、自分達のよりどころを模索する事が続きます。
あるときには自信をなくしたり気落ちをしたり、励まされたりと、この仕事にどのように喜びを見出したらいいのだろう心はさ迷い揺れ動きます、そう考える間にも世の中はどんどん変化してゆきます。
でも時代がどんなに変わっても日本人には、変ってみょうがない価値観や美意識のようなものがあるはずだと長い間思っていました。
時代がどんな意変化しても変らないものそんなものがまだ日本人の魂といわれるような部分にあるはずです。
どんなに環境が変わるとも、そんな新しい時代にも理解していただける料理やお酒、それを提案したいと願っています。
会津にはそれを支えてくれるお宝のようなものがたくさんあります。それを世に出してあげたい、強く願うようになって来ました。
梅雨に入る頃になると、ああ今年こそは活けてみようと意気込んでみるが、ハンゲショウの花は容易に見つけることが出来ない。
適地である水辺が減ってきているせいものでしょうが
農薬や水路の整備など環境の変化も大きく影響しているのだと思う。
夏の茶会に招かれて、傘のさかさまにしたような竹花入れに清楚に活けられているのを見て、何ともすがすがしいことかと思ったものです。
先日も訪れたさるお寺の床の間に同じような花器に
活けられていた。床の間の花は花の語源の「花に近い葉の一部が白くなり花よりも目立つので「半化粧」
からとの説を納得させるのに十分である。
女性の化粧がいつの時代からあったのかは定かではないがこの花の響きと花の姿からは、女の華やかさとか嬉しさとか言う喜びの印象は薄い、夏水辺に咲くハンゲショウは物悲しくとてもさびしい